奈良吉野 ~ 歴史と文学ゆかりの一端にふれる旅♨🍁🍂

2021年12月8日 ~ 9日

🔶 2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコ世界遺産に認定され、吉野山全体が世界遺産。金峯山寺、吉水神社等の神社仏閣、後醍醐天皇や南朝ゆかりの史跡、源義経、西行、芭蕉ゆかりの地など歴史的な旧跡が多く、登山ハイキングコースとしても楽しい。

その吉野を、奈良県居住コロナワクチン2回接種で、県内施設50%割引特典の「いまなら」キャンペーンを利用して、二日にわたり散策ハイキング。

宿泊する「吉野温泉元湯」は、谷あいの清流沿いに佇み、「島崎藤村」22歳の時に長期逗留した秘湯の宿。

今回は一日目にまだ秋色残る吉野山と、そこに佇む世界遺産の神社仏閣と参詣道の一部を巡り、2日目には、飛鳥時代から奈良時代にかけて、歴代の天皇が行幸した宮滝。大海人皇子(天武天皇)の壬申の乱の舞台にも絡んだ「吉野離宮」の跡を経て、万葉集ゆかりの地を、巡ってみた。

 


🔶 1日目👨‍🌾

初日のコースは地図左側の赤い軌跡。吉野山麓の谷あい「吉水神社」駐車場から、宿泊する「吉野温泉元湯」の前を通り、つづら折れ細道の”元湯への小径”を登り「吉水神社」を経て、尾根筋を「吉野水分神社」まで。
戻って「金峯山寺」へ参り、引き返して吉水神社そばから”元湯への小径”を下り、島崎藤村ゆかりの秘湯「吉野温泉元湯」へ。

近鉄吉野駅横の道を谷あいを南進すると、「吉水神社」駐車場から程なくここへ至る。
今宵お世話になる「吉野温泉元湯」標柱の左横に、「吉水神社」の案内板。粋な宿玄関への石段と隣接した、上方への石段からつづら折れの細道を登ると、、

、、尾根筋のメインストリートから鳥居をくぐる吉水神社への参道に合流。くるっと回り、民宿の前を少し行くと神社の門。

 

「南朝本拠四帝御所 吉水神社」とあり、ここが一時南朝皇居でもあった事を示している。

また「世界遺産 吉水神社」ともあるが、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録(平成16年7月)された。

吉野に関連する世界遺産の構成遺産は、中核資産(コア)として、金峯山寺蔵王堂 、金峯山寺仁王門、 金峯山寺銅の鳥居、 吉水神社、吉野水分神社、史跡名勝吉野山、史跡大峯奥駈道が登録されている。(*吉野町公式ホームページより)(*吉野観光協会ホームページでは「金峯神社」も含まれている)

元は金峰山寺僧坊の吉水院(きっすいいん)で、後醍醐天皇が行宮(あんぐう)とされた歴史がある。
明治の神道国教化目的の神仏分離令に拠る廃仏毀釈は、特に修験道に厳しい対応であったらしいが、ここは天皇ゆかりの場所なので、県の働きかけで後醍醐天皇社として残され、その後吉水神社と改名された、とのこと。
また、源為朝に追われた義経・静御前・弁慶が身を潜めたゆかりの場所でもあり、そしてまた、太閤秀吉もここで花見の宴を開いた、と。

境内脇に、後醍醐天皇御製の歌碑

    ここにても 雲井の桜さきにけり ただかりそめの 宿と思ふに

嘗て京の御所紫宸殿に「雲居の桜」があったが、吉野水分神社近くの世尊寺に同名の桜が在り、仮宮の境遇の想いを寄せた歌。

参道を戻り、鳥居をくぐりメインストリートの県道15号(桜井明日香吉野線)を、「上千本」方向へ向かう。

意外にも、諦めていたカエデ紅葉が、、、嬉しい! 道端も谷もモミジが染めて、、、。

 

千本観桜期臨時バス停留所の広場に🚻。その前の階段を登り、奥千本行きバス🚌⬆の案内が示す上の車道へ。

上の車道に出ると、そのすぐ南に竹林院前バス停と「小山神社」の階段。

 

お店の並ぶ車道を行きかけたがGPSを確認、ここは神社のすぐ横、右側の登り坂道が上千本方向へ向かう道。

 

上がってすぐ、道沿いに広場。眺めが良く、地域の避難場所にも指定されている広場のベンチでランチ。ここもイロハモミジの紅葉が綺麗!

 

北東に見える高い尾根が気になる、、、🙄 この方向だと、2月に雪山登山した、東吉野村の「高見山」かも?

高見山 ~ 初めての雪山登山で霧氷に感激!( 2021年02月19日)

 

公園上方、東屋の有る丘の向こう側に出ると、紅葉の絨毯🍁🍂

 

「桜展示園」ってあったけど、春はサクラの絨毯かな🌸

 

先程の道につながる「花夢亭」傍に下りて、再び狭い車道の登り道を、てくてく。

景色が開けたヘアピンカーブの先に、キレイな設備の🚻。

(*撮影不良で、Googleストリートビューから画像拝借🙏 なので桜が、、、😅💦)

トイレから次のヘアピンカーブを少し登り、ちょうどトイレの上辺りで、ショートカットして木段へ。

上がると平らな場所に石碑。義経を守る佐藤忠信に討たれた「横川の覚範(よかわのかくはん)の首塚」とのこと。

 

ところで、ここで案内地図と道標を見て、初めて気づいた、、、💦

 

歩いて来たこの道の大半が、美吉野橋下流の「柳の渡し」に起終する吉野山~熊野本宮大社ルートの「大峯奥駈道」だったんだ😲

壮大な大峯奥駈道の極く一端だが、認識を新たにすると、案内板の横から登る次の木段も何やら嬉しくて😁軽やかに。

登り始めた木段傍の枯れ木もマスク。  そうだよね、、まだまだ君もキが抜けないからねえ😷

木段からの眺望、とても見晴らしの良い場所! ”花”の時季には絶景だろう🌸🌸🌸 堂々たる金峯山寺蔵王堂に続く町並み、右下方の谷あいには、今日スタートでゴール地点の「吉野温泉元湯」も見えている。
奥の淡い山陰、右寄りに生駒から信貴の山並み、そして中央辺りの二上山から左にかけて岩橋山、大和葛城山の峰々。

 

ちょっと長い木段だが、眺めも良いし気分は上々😄🎵

 

途中の山肌にポツンと赤い実のマンリョウ(万両)。窮屈そうにミヤマカタバミ(深山酢漿)の葉が顔を覗かせる。

 

木段から車道に出た辺りが、佐藤忠信が義経の囮となり敵に矢を放った「花矢倉」の場所。そこから200mほど行くと「吉野水分(みくまり)神社」。

ここも「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録の構成資産のひとつ。

 

入り口左手が拝殿、正面が幣殿、左手が本殿らしいが、ともかく時計回りで巡回し参拝。

“みくまり”が”みこもり”と転じて子宝・安産の神様とされ、太閤秀吉も祈願。何と「秀頼」を授かった、とのことで、凄いご利益!

楼門の脇に木目が際立つ木彫りの梟。特に説明はないが、なぜか賽銭?何か視られているような眼差し。🦉

 

、、で、本日ここまで。
来る前は、「西行庵」までと思ってもみたが、そこまであと2kmほどの下り道だが、往復だとこのペースでは距離が有り、宿への時間も思慮して、またの機会に。

過去に、西行終焉の河内「弘川寺」を訪れ、白州正子「西行」も読んでいただけに、残念😔

 

🔸 帰路は車道を下りる。
この道路際のモミジも美しい!

「上千本」から見下ろす桜の時季も素晴らしいが、紅葉の季節もまた、趣き豊かでいいんじゃないかな🙄✌。

 

ヤドリギのシルエットがおもしろい。

 

一旦、宿への道を通り過ごして金峯山寺(きんぷせんじ)へ。
吉野山へ来てここをパスする訳には行かない、金峯山修験本宗(修験道)の総本山。

 

工事中の蔵王堂。当然ご開帳されてないので、お堂の中をぐるりと拝観。
釈迦・観音・弥勒の三仏の化身と謂う御本尊である金剛蔵王大権現の、迫力あるお姿を頭に描きながら参拝。

 

戻って宿へ。
つづら折れの「元湯への小径」、ジグザグゆっくり下りて行く。

道沿いに、多分野生らしき茶の木が、蕾を付けている。

 

ここのマンリョウ(万両)も赤い実をたくさん。これも野生かな?

 

イズセンリョウ(伊豆千両)は白い実がいっぱい。
この木の葉は、ほんとに虫食いが多いね~  みてみたいが、、、🐛💦あんたか!?

 

下りきったところがお宿の入り口、「吉野温泉元湯」♨に到着。

教え子との恋に悩んだという若き日の「島崎藤村」が逗留した宿。

鉄分含有の茶褐色の湯にゆったり浸り、独りになった折り、「初恋」をそっと口ずさんで、藤村の心情に想いを馳せてみた。いい湯♨だなあ、、、。

 



🔸 2日目👨‍🌾

翌朝、出立前に宿の庭を少しばかり散策。

谷あいの風合いを借景に生かした落ち着いた庭園。

飛び石が辿る先に、高浜虚子の孫で「ホトトギス」を引き継ぎ名誉主宰される俳人 稲畑汀子さんの歌碑。

一山の 花の散りこむ 谷と聞く

稲畑汀子吉野山の桜を詠み続け、その清心の桜花三百句を収めた句集「花」のなかの一句。

宿のご亭主に尋ねると、ここ2年はコロナで中止されているが、毎年花の時季に宿で句会が催され、多くの方がお出でになり、その朝昼夕のお食事のご用意も有り、大変繁忙を極めるとのこと。

「当館で観桜の句会を開かれて十数年。多くの門下生と共に毎春、お越しいただいております。
幼い頃より俳句修行をされた稲畑先生は、世界各地を巡り、諸外国と俳句親善に努められ、日本伝統俳句協会の設立、虚子記念文学館の開館など、精力的に活動されています。浅からぬ縁を記念しささやかな碑を建立いたしました。」と、宿のホームページに。

 

「元湯への小径」に接すように、陽当りの良い山肌に、白い木肌の林。白樺のようにも見えるが、宿に問うのを失念してしまった。

 

🔸宿を出て、吉野川沿いに上流の吉野町宮滝の「宮滝遺跡」へ。

縄文からの遺跡は、飛鳥・奈良時代には吉野離宮が在った場所。

 

大海人皇子(天武)が即位を断り出家、この地より伊賀、鈴鹿等の地へ向かい挙兵、大友皇子と戦った「壬申の乱」ゆかりの地で興味深い。

この日も調査の方が来ておられ、令和元年の第70次調査に続いて現在も調査中で、将来公園化も、とのこと。

中央テープ区画が本殿、左手が奥殿だと、おっしゃったと思う。🙄

 

説明板にも詳しい案内。

 

真ん中の画像を拡大、、、発掘調査時の空撮。吉野離宮は、山手から川辺まで広範囲に造設されていたらしい。
画像の吉野川左手、岩場の上流、左岸に「象(きさ)の小川」の流れをまとめて、喜佐谷川が岩の間から注がれているが、そこが「夢のわだ」あたり。

石垣の傍に、古そうな欠けた瓦がたくさん有ったが、当時のものか?

🔸 柴橋で吉野川対岸へわたり、喜佐谷川に沿って進む。
途中道沿い「櫻木神社」の🅿🚻を利用後、車の侵入禁止地点まで行くと、登山口の駐車場。
喜佐谷川本流は左手の喜佐谷へ、登山道は右手。
吉野山に通じるせせらぎ沿いのこの道は本居宣長らも通った古道で、「近畿自然歩道」。
(*ここから昨日から休止ていたヤマレコの👨‍🌾GPSログを再開。最初の地図、右側の朱線。)
せせらぎに沿って登る。

この辺りは道端にイズセンリョウ(伊豆千両)が続く。
例によって、葉はひどい虫食い。

分岐を下方に進むと「高滝」。
案内板の位置が微妙🙄ちょっと戸惑い上方に進みかけたが、戻って右手下方へ。

 

滝の写真はいつもそうだが、自分の撮影画像では表しきれない迫力だった。

もっと滝の下近くまで行けたので撮影したが、NG😥  

滝上方に至ると、祠と説明板。

「高滝」の景観を眺めながら川筋に沿って登ると、その先は「吉野水分神社」に通じる「吉野山上千本」の尾根筋の道に合流するこの道は、伊勢と通ずるいにしえの道。

登山道脇に薄汚れた「やまとの水」認定「象の小川」掲示。
けど、特にこの場所が万葉歌で特定された所では無いと思うので、補修もままならぬ山中滝上部の高い位置に造設した意味は??

 

吉野水分神社が鎮まる山の、尾根筋辺りから勢いよく清水が流れ行く。

高滝を過ぎた辺りから、道沿いにはマツカゼソウ(松風草)がず~と続く。
可愛い白い花が咲いてる頃は楽しいだろうなあ。

登りゆくと、もう一つの滝。

 

ここは無名?

道はこの先、昨日歩いた吉野山上千本につながるが、少し先で戻ることに。

 

っくり眺めながら戻ると、野生の茶の木が多いことに気づいた
ツルアリドオシ(蔓蟻通)
ここにもマンリョウ。これも野生?
駐車場着。
ここで、車に乗るので👨‍🌾ヤマレコの👨‍🌾🏕🛤GPSログを終了。
🔸帰路、「櫻木神社」へお参り。
境内へ架けた木末橋(こぬればし)の石柱に「きさのおがわ」。~我が命も 常にあらぬか昔見し 象の小川を行きて見むため ~     大伴旅人(万葉集巻3-332)

立派なお社。
大国主命、彦名命、そして672年壬申の乱に至る際、この地に潜幸した天武天皇もお祀りされている。

 

 

 

 

 

 

境内の御神木。あまりの大きさと高さに最初気付かず拝殿前へ。ちょうど来られた人々の気配で上を見上げ、びっくり😅💦

 

 

 

 

 

 

吉野川に出て、柴橋手前の「吉野川展望デッキ」から撮影。左手の岩の間から喜佐の水が流れ落ちる、その淵が「夢のわだ」らしい。右岸上方一帯が宮滝遺跡(吉野離宮跡)。

  夢(いめ)のわだ 言(こと)にしありけり 現(うつつ)にも 見て来るものを 思ひし思へば                                   作者不明(万葉集巻7-1132)

 

淵を望む展望デッキの木柱てっぺん、一面にキノコ🍄みたいな?

GoogleレンズでCladonia cristatellaと。
ともかくハナゴケ科の地衣類、コナアカミゴケ みたいで、どうも古い杭の上が好きなのかな?

 

 

 

 


 

🔸 さて、吉野の帰路はいつものように、下市町の「吉野川湧水」をいただく。
かなりお歳の元気なご婦人、汲まれた後もひとしきり楽しくおしゃべり、、バイクで颯爽とお帰りに。

ここのモミジ紅葉も美しい!

今回は2Lペットボトル×6本を6ケース分頂きました。有難うございました🙏

 

 

ご覧いただき、ありがとうございました!

 

 

 

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Posted by ss-kinkon