桜井 “朝倉富士” 外鎌山(とかまやま) ~ 倉橋溜池から忍阪(おっさか)へ  わ~大和三山みな”フジサン”だ~

2023年06月18日(日)

💠   ずい分前に参加した近鉄ハイキング…近鉄大阪線「大和朝倉」駅から忍阪街道へ出て、忍阪集落を「奥の谷」の陵墓と石位寺へ…。 イベントなので、地区の方々のお世話で運良く、国重要文化財指定最古の石彫り、「石造浮彫伝薬師三尊像」を拝ませて頂いた。
その折、資料室見学の際に求めたDVDを久方ぶりに鑑賞🙄…そうだ!忍阪を訪ねて、”郷土富士”(ご当地富士)の外鎌山へ登ろう!! そんで、ちょっぴり歴史も踏まえたハイキングだぜ…

 

ってんで、”フジ登山”実行!
車で桜井市へ…まずは “朝倉富士” たる山容を確認すべく、国道166号線沿い「鳥見山」裾の住宅地から確認…うん、なるほど!

🔷今回は、倉橋溜池から歩くことにしたが…一旦、よく訪れた🚻のある🅿で休憩。
そこからも、奥の取水塔・堤防の向こうに外鎌山の容姿…
その奥は、三輪山に続く白山・巻向山あたりか…。

サクラの時季は一段と素敵な池…周回を楽しめるが、入江が多いので、見かけ以上に距離がある(4kmくらい)💦
*ちなみに近鉄ハイキングでは、忍阪からここを通り2.2km西の聖林寺で、国宝「十一面観音菩薩立像」を拝観した後、安倍文殊院に立ち寄り、桜井駅まで歩いた。

 

ハイキングは、くねくねと池端を1kmほど戻った堤防(ダム)上🅿に駐車し、そこから眼下の忍阪へ向けてスタート…

鮮やかなノウゼンカズラを眺めつつ…

田植えを終えた棚田の間を下り行き、忍阪の集落へ…。

 

国道166号線の忍阪東交差点をわたり、脇の忍阪街道へ進むと程なく石位寺境内への石段…

境内のお堂を通して背後の蔵に安置された国重文「石造浮彫伝薬師三尊像」を拝観するが、寺は地区の管理で通常は桜井市観光協会公式ホームページからの申込みが必要…当然施錠されているので、扉前で拝礼🙏

お堂の右手奥に、境内周囲から集めた「西国三十三所巡礼供養碑」などの石造物…
その先に🚻…むっちゃきれいな新しいおトイレ!

 

🔹石位寺から北へ200mほどに「忍阪観光おもてなし駐車場」自主防災倉庫の壁に無料🅿の掲示。ベンチも設置されている…

その🅿前を東へ…。
ん?…案内石柱の前で固まってる相方…「予」のよこ、何?…
飛鳥時代の推古天皇から継いだ “じょめい” 天皇…
蘇我氏の絡まるこのあたりの、思惑というか葛藤というか.歴史の変遷がムズい…馬子の策略で暗殺されたという崇峻天皇陵も、倉橋溜池の西側に在るだけに余計に(アクマ😈で…個人の感想ですハイ🙇‍♀️💦)

 

すこし行くと、よく紹介されている岩上の半鐘…

半鐘よりも、岩が ” いわく付き ” のようです😲

 

道端に可愛い(失礼🙏)が、立派な造りのお社??
傍らには、ゆかしくホタルブクロ…

つい覗いてしまう💦…いやいや探究心なんだ…よな、ご同輩😅

爽やかなせせらぎのリズムに合わせ、心地よく先ヘ…

舒明天皇陵段ノ塚古墳
” 最大の特徴は、なんといっても我が国で初めて造られた八角墳 ” とあります。

石段の手前で拝礼…かなり段数ありそう…なので😅

 

更に先へ進むと、流れのたもとに歌碑…

向かい側墳墓の前に犬養 孝氏が揮毫した歌碑の解説。
鏡王女が、愛する中大兄皇子の歌に返して…秋山の 樹の下隠り 逝く水の
吾こそ益め 御念よりは(万葉集巻2ー92 鏡 王女)素敵ですね~ ” 密やかに木の間を行く流れの水のように、わたしの思慕は貴方様より強いのですよ “…ってんで…あ~それなのにそれなのに~…皇子の御思いは妹(?)の額田王になび~いて行ったとか💔 男って…オトコって🤷‍♀️💢
(いやいや解説には、こんな事書かれてません…アクマ😈でどっかで読んだような…ハイ🙇‍♀️💦)

鏡王女の押坂墓…墳墓の横に案内立札。
後に藤原鎌足の正室となった鏡王女…その墓は不確定な要素で宮内庁管轄ではなく…

地元老人会による草刈りなどの維持活動と、鎌足公ゆかりの談山神社による祭祀が執り行わrている…との記載。

霧立のぼるような背景に高い松の墳墓…入江泰吉氏の「写真集・大和余情」の画像、今ここ…「奥の谷」の情景に重なり、静かに心象が湧き上がり高まる想い…。🤗

 

鏡王女墓案内立札の横から、外鎌山への登山道となるが、その前方に大伴皇女墓の案内立札…”墓は120m上方に”とのこで、一旦そちらへ。

 

大伴皇女…用明天皇・推古天皇等13人の兄弟姉妹の一人、つまり聖徳太子の叔母様に当たる方…
それよかイヒ…欽明天皇の13人の子を産んだ、蘇我堅塩媛がすげ~…
これ~っ!💥今関係ないぞえ👩‍🦳💢 スンマセン皇女さま😰💦

 

“このやまぶところの静けさだけでも…このまま残ってほしいものである” と犬養 孝氏が著書に記した景観…まさに今も保たれ、地区と関係の方々のご努力に、敬意🙇‍♀️

森の上方、正面は音羽山からの連山…右側は多武峰か…。

 

🔹戻って、東方向の登山ルートへ…。
進むと途中で、地理院地図にない分岐…ただし、上方に向う道とそれに沿うような新しい案内板…

GPS地図にはショートカットの足跡がついているので、そちらへ…。

道はシッカリついているが、所々段差のある急登…

尾根筋で、向こうから来た通常ルートと合流、左手へ…。

登ったり…

下ったり…

竹の混在する道を進み、さらに登ると..

 

石標やベンチの設けられた、頂上の削平地…

 

🔹ご当地フジサン🗻登ったぞ~V(^^)丿
わあ~大和三山もみな”フジサン”だ!

外鎌山292.5m 低山だけど見晴らしイイね~🤩😍評判に違わず、いいお山…。

手前から奥へ、鳥見山、香久山、畝傍山…そして霞む山並みは左手から和泉葛城、金剛、大和葛城、岩橋の連山…
香久山は、二上山などから見るとペチャンコだったのに…ここから見ると、畝傍山とともにきれいな裾野だ!

右手は桜井市街の向こう、ぽつんと浮かぶ耳成山、その奥に霞む二上山…更に信貴山、生駒山へと連なる。

 

 

案内板通りの景観…見通し良ければ大阪の街も見えるんだろね…

 

ここは、南北朝時代の戎重西阿(かいじゅうさいあ)氏の山城跡…

“西阿公の墓碑”が、基台より外れて横たわっている…古墳の石室上のモニュメントにも似て、これはこれで…🙏

西側の鳥見山(とみやま)ほか、六城を築いた西阿氏は後醍醐天皇の南朝方に味方した…とも。
余談だが、時代を経て戦国時代…もうひとつの ” ご当地フジ ” 信貴山の城主 松永久秀方に付いて戦った西阿氏は、最後は筒井氏により謀殺された…らしい、南無~🙏

 

🔹…で、爽やかな風に吹かれて外界を眺めつつ、昼食終了、お片付けして…

北側の登山道から下山…。

距離が短いだけに急斜面の、つづら折れを下る。

途中、城の石垣跡…南側の「奥の谷」では全く感じなかった、”城山” を実感!

“六合目”の立札…え~まだ~💦と思いつつ下った先に、家並み??? 何か騙されたような…

おまえか🦊💦って…思う間もなく、住宅地へ着地!
登山口が五合目…大和川(初瀬川)に近い標高100m位の近鉄「大和朝倉」駅前から朝倉台住宅地を登り始めるから、駅あたりが一合目なんだろかなあ🙄…でもちょっと?

ピ~ン🤣‼
これって…車で行けて標準的登山口になってる、富士山五合目になぞらえてるんだ~杖入れに「朝倉富士」…粋だね!! (これもアクマ😈で…個人の想像ですハイ🙇‍♀️)

 

🔹住宅地を下って再び忍阪街道をたどり、「忍阪観光おもてなし駐車場」着。ベンチでしばし休憩…

 

石位寺下をてくてく、国道をわたり…

ベニシジミ(紅小灰蝶)やモンシロチョウ(紋白蝶)、 ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)などのチョウチョの飛翔を楽しみつつ…

橋溜池の堤防(ダム)下の棚田を…

戻り行きます♫

 

こもりくの  泊瀬の山 青幡の  忍坂の山は  走り出の
よろしき山の出立の  くわしき山ぞ  あたらしき山の
荒れまく惜しも
(万葉集の巻13-3331 作者不明)

歩いた忍阪の山は、地元の方々らのご努力も有って、歌のような “荒れまく惜しも” は当たりません。
そして、道や田畑でお会いした方々の気さくな会釈やお声がけに、地元の素朴な優しさを感じました…感謝🤍

 

yamarecoマップ転載

 

ご覧いただき、有難うございました🙇‍♀️

 

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Posted by ss-kinkon