幻の鉄道「大仏鉄道」道草的遺構巡り JR加茂駅~大仏鉄道記念公園
2018年11月16日 & 24日
🔷 明治31年4月開通、そして明治40年8月廃止と9年4ヶ月余りの運用で廃線となった関西(かんせい)鉄道株式会社の「幻の大仏鉄道」の遺構を巡るハイキング。
加茂から奈良までの大仏鉄道路線は9.9kmと短く、その遺構を歩く道のりも、きつい昇り降りはないので初心者向き。
一部を除き線路跡の上を歩いてたどるのではなく、あくまで鉄道に付随した施設、設備跡を主体に見学して「幻の鉄路」に思いを馳せるコース。
隧道(トンネル)もあるが、汽車がくぐり抜けた黒髪山隧道は現存せず、軌道下の農業用水路とか通路のトンネル。そして鉄橋や橋台。
現存するそれらは、明治時代の趣をよく伝えるレンガ積みや石積みの遺構で、巡ってみるとJRの走行する響きも遠く近くに聞こえ来て古の雰囲気を盛り立て、意外に面白いハイキング。
🔹 ハイキングのスタート地点は、JR加茂駅。
*文頭の日付が2日間になっているが、16日は近鉄あみまクラブ企画(フリーハイク)に参加、近鉄山田川駅~木津川堤防沿い~JR木津駅を経て大仏鉄道梶ヶ谷隧道と赤橋に至り、そこから大仏鉄道記念公園まで。
24日は未歩行のJR加茂駅~梶ヶ谷隧道、赤橋までウォーク。
その2日間の行程をまとめて、加茂駅から奈良市内の大仏鉄道記念公園までのハイキングとして記事に。
*大仏鉄道跡に関するブログはたくさんアップされているで、饒舌な感は否めませんが、少し道草的?な事も織り交ぜた記事投稿です。
JR加茂駅東側にある公園には車輪のモニュメントと、枕木で枠取られた説明書き。
関西鉄道は名古屋方面から関西に進出し、大阪鉄道や奈良鉄道を吸収するほどの大きな会社だったようで、遺された遺構では想像しがたいですが、当時の木津駅の写真資料を見ると、今の木津駅くらいか、あるいはそれ以上の規模の大きな駅のよう。
木津駅の改札に至る上階の通路をGoogle航空写真で見ると、東西の長さが対象ではなく、ホームの東側寄りが1車線分くらい幅を取って長くなっているようですね。
🔹 関西本線の気動車(ジーゼルカー)の止まっている線路の東隣りに線路跡が見えます。
その線路跡(上の写真矢印)は、Google空撮を拡大して見ていくと、観音寺橋台当たりの近くまで続いているように見えます。
次の写真の木津駅ホームの東側、公園との柵側には、上の写真で確認できる線路跡。(これだけを見るとローカルな鉄道の小さな駅のような錯覚をしてしまいますね。実際、当初はそんな勘違いをしていました。)
ホームの南端近くに妙な柱が。 「取り除かれた跨線橋の支柱」と別の方のブログで知りました。確かにてっぺんの皿の部分にボルト跡、上部と下部の北と西の2方向に穴の空いた金具があり、梁でも止めていたのでしょうね。
柱が大仏鉄道の遺構とすると、西側に傾斜して低くなっているこのホームも当時のものということですね。
現在使用のホームが写真の右側、石積みの旧ホームよりブロックで嵩上げされているのが確認できる。
そして、その西側に立っている遮断棒でも掛けたような逆L状の金具の付いた支柱も当時のものなのか?
ホームに停まっている列車は関西本線の気動車。
🔹 さて、JR木津駅西側を奈良方向に歩くとすぐに、よく紹介されているレンガ造りのランプ小屋。
さらにその先の踏切を左折するとすぐ左手の植え込みの中に、先ほどの「跨線橋の柱」と同じようなものが立っている。
踏切手前のフェンス傍を秋色に染めるナンテンとフウセンカズラ。電車通過待ちにパチリ!
🔹 南方向へ歩みます。小学校の校庭の傍、JR線との間に、大仏鉄道ではないが、よくブログなどで紹介されている機関車C5756。
保存状態が良いようで、特別列車や急行列車を引いて走った”貴婦人”の迫力満点!
そこへの脇道あたりに案内表示は無かったと思うが、小学生の子たちが教えてくれました。
右折し赤田川を渡って学校給食センター方向へ進み、直接「観音寺橋台」へ至る「田園風景を楽しむ」コースと、直進し少し回り道をして、高田寺あたりを経て「観音寺橋台」へ出る「歴史を感じる」コースの分岐点。
この案内に従い右折した先が問題!
行きつ戻りつ、思案の挙句、県道の方向へ行くことに。
このコースは、この先の高田寺付近でも迷いそうなのでGoogle写真で示しますが、初めての方で大仏鉄道遺構に限定される方は「田園風景を楽しむ」コースを選ばれた方が無難に思います。(星印が先の写真の案内板の場所。)
県道に出て程なく床屋さんの前が高田東口バス停。その右手の脇道を進みます。
脇道のすぐ左手、墓地前に古い浄瑠璃寺への案内石標。「これより十五丁」とあります。
浄瑠璃寺は南の方向の山あいに在りますが、十五丁を今の距離に換算すると約1.6km。ただしGoole地図上で図ると道のりで2.8km。徒歩で40分、車で5分くらいですね。すると、この石標は元からこの場所にあったものでしょうかね?(勝手な憶測で)
🔹 緩い坂道を行くと三叉路の右手に吉田寺の案内と大仏鉄道遺構への道標。
お寺の入口傍らにお地蔵様。本堂の重要文化財のご本尊、薬師如来様に扉越しにお参りを済ませて、通りへ戻り左折。寺の裏手を通って、いくつか横道がありますが構わず前方へ進みます。
🔹 少し行くと人家が途切れるあたり、右手に池が見える道沿いに数本の松の樹。(写真は反対方向から見ています)
葉の長い松ですが、、。思わずにっこりヽ(´▽`)/
すべて、三本!三葉の松葉です!!
過日、高野山にお参りした時に壇上伽藍境内の三鈷の松(さんこのまつ)、立入り禁止の柵の内外を見ましたが、二葉ばかり。大勢の方が探してますから、見つけた人はホントに幸運!かも。
三葉の松はあちこちに有るようで、奈良は斑鳩の法起寺、大阪は住吉大社、葛井寺などにも有るとのこと。
でもやっぱり心持ちはホクホク。
松ノ木の先の土手に埋もれるように仏様? 2体の道祖神のようにも、、、。
🔹 そして突き当たりは大仏鉄道跡の築堤で、左に行くと直ぐに「「観音寺橋台」。(JRのこちら側の石組み)
「田園風景を楽しむコース」は、この場所で合流。そちら側、JR橋台前から撮影。
振り返ると、「田園風景を楽しむ」コースはホントにのどかな田園風景。
🔹 ここからは遠く近く、大仏鉄道跡に沿ってウオーキングです。
少し行くと観音寺小橋台。JRがすぐ傍なので立入り禁止。
軌道跡に沿ったこの先の道は侵入禁止なので、一旦少し離れつつ竹林を抜けていきます。
その先の森蔭には鳥居と小さなお社。
大仏鉄道跡は、多分竹林からこのお社の奥あたりで進路を南寄りに鹿脊山(かせやま)裾を進み、次の鹿背山橋台に行っている様子。旧国鉄関西線も並行して走行し、こちらは旧鹿背山トンネルへ。
現JR関西線は直進して大仏鉄道より低い位置で現在の鹿背山トンネルに入ります。
*鹿背山は、戦国時代に信長に対抗して滅亡した、信貴山城主で知られる松永弾正久秀の別の山城があったところ。
のんびり道を歩むと、ちょっとドッキリ!😴
これもカカシなのかなア、、、。インパクトあるけど、ちょっときついかも。
このあたり個人菜園のような畑が続いてきますが、それに添った奥側に軌道跡が続いています。
Google航空写真を見ると、その部分の軌道跡は旧国鉄関西線も並走行していたので、幅広く線上に樹木がこん盛りしているのでよくわかりますね。
先を行くと視界が開け、ゴルフ場でプレイする方たちの姿と話し声が聞こえる辺り、築堤沿いに古びた枕木の柵が。
まさに大仏鉄道跡の景色。
🔹 この築堤の細道を向こう側へ出るとちょっと深い谷のようで、危なっかしそうなコンクリートの橋が掛かっていました。
なんとこの橋の下が旧国鉄関西線跡。
橋は水道管を亘したもので「水道橋」と呼ばれていることを別の方のブログで知りました。
*このあたりの旧関西線廃線跡のことは、ガイドパンフや案内板に記載がなく、ネットで調べて解りましたが、こちらも遺構としてある程度整備してオープンにされても良い気がしますね。”もったいない”とブログの方に賛同!
参考にさせていただいたブログは廃墟検索地図~鹿背山トンネル 🙏
くるまみち~鹿背山トンネル http://sputoyo877.com/sikagaseyama.html
まぼろしの大仏鉄道遺構めぐり http://www3.kcn.ne.jp/~kugafam/daibutu/daibutu.htm
戻って、すぐ近くに鹿背山橋台。狭く水路のための橋台。
橋台間の細道は行き止まりで、向こうは先ほどの谷で旧国鉄関西線跡。その辺に旧鹿背山トンネルの加茂側坑口があるのでしょう。
道端の木々に秋の実がいっぱい! と思ったらGREEN HOUSEの立て看板。
🔹 大きく視界が広がり、JR木津駅近くの城山台ニュータウンが見えてきました。
大仏鉄道跡は上の写真左側の道。さらにゴフル場侵入口を横切り、梶ヶ谷隧道・赤橋の上の道に。
写真のゴルフ場入口看板の先(上)に軌道跡の道。
ここからのわずかな区間が、唯一開発を受けていない軌道跡築堤そのものを歩ける場所、と思われます。
この下に梶ヶ谷隧道と赤橋。左手に大仏鉄道公園(城山台公園)。
少し戻り、案内板に従い降りて行くと、
線跡下の農道用「梶ヶ谷隧道」。
ニュータウン側道路から見るとこんな感じ。軌道跡の下にトンネル。
そしてこの右手には「赤橋」。
赤橋をくぐり右手へ。
🔹 軌道跡の道へ合流。一旦、道を渡り西側の公園へ。
大仏鉄道の説明の横に線路のモデルが敷かれています。
この日も近鉄奈良駅から大仏鉄道ハイキングが有ったようで、ハイクの皆さんが休憩中。
🔹 梅谷交差点を直進、加茂駅近くから高田寺近辺まで歩いた県道44号線と再び合流。
44号線はこの先、奈良市の黒髪山隧道跡を通って鴻ノ池スポーツ施設付近まで、ほぼ大仏鉄道軌道跡と重なるように走行していたようなので、しばらく”旅のガイド”役に。道跡築堤に沿った歩道を進むと、大仏鉄道のマークのモニュメント(上の写真)。
先ほどの梅谷交差点付近で、軌道は赤橋から築堤が続いて井関川橋梁を渡り、松谷川隧道上のこの場所の築堤へと続いていたのですね。その横の、谷間に降りていくような階段を行くと、築堤の下に松谷川隧道。赤橋から築堤が続いていたにしても、汽車はのぼり坂を喘ぎあえぎ登っていたのでしょうね。
松谷川隧道は水路と通行の兼用トンネル。
戻りは反対側の坂道をのぼり、木津南交番前交差点の44号線を南方向へ。
🔹 通り沿いに変わった建物。「木津市上水道 木津南配水池」の表札。
大仏鉄道の紅い汽車が描かれた絵も掲げられています。気になるのが建物の形と構造用途と名称。
バベルの塔みたいと言われる形状はこの地の特産「たけのこ」を表したもので、そうなんだと判ると微笑ましい。構造は解らないが、「配水池」となっているので、木津川から取水し飲用処理した水をここに貯水し、各所へ配水する拠点の一つなのでしょうね。愛称が「タツタタワー」。隣接する施設「タツタテクニカルセンター」の親企業名称をネーミングライツ(命名権の売却)で付けたものだが、水道施設では全国初の試みとのこと。
またまた”寄り道”しました。でも汽車の絵がこの地を走っていた「大仏鉄道」のイメージを想起させてくれましたね。
🔹 さらに進むと県道754号線との梅谷口交差点。
754線は、京奈和自動車道と国道24号線バイパスができるまで、京都市方面から奈良へは木津から梅谷口を経て奈良市内に抜けていた交通の要所でしたね。
梅谷口交差点付近にも水路用の鹿川隧道がありますが、今回はスルーして44号線を黒髪山へ。
勾配がきつく難所であった黒髪山にトンネルがあったのがこの場所。歩道壁面の掲示案内をよく見ずに、この場所のどこかに「黒髪山隧道」の遺構があるのかと探していたのは私だけではないようです。
再度掲示案内の写真を見て、やっと気付きました。高架歩道橋の下、道のど真ん中にトンネルがあったのですね。
この掲示を見ていた時も、反対側の歩道の男女二人連れのハイカーが行っては戻り、横の斜面を覗いて怪訝そうな顔つき。
なぜなら、この時のイベントハイクのマップに印された遺構の地点が、道の横にポイントされていたからですね。
鴻ノ池競技場の池でちょっと休憩。手すりにもたれると直ぐに鯉や鴨たちが。もうおやつは残ってないよと呟きつつ池を周り込むように進み44号線を横断、そこで県道とはお別れし、住宅地の道を汽車が大仏駅に向かって斜め方向へ降りていくイメージで、大仏鉄道記念公園を目指して下って行きます。
🔹 今回ゴールの「大仏鉄道記念公園」。JR奈良駅にも近い船橋商店街通りを北に突き当たったところで、車通行が多い三叉路の小さな公園。
ここから一条通り付近にかけて大仏駅が有ったのでしょう。
今でもJR奈良駅から三条通りを上がって奈良公園へ行くこともありますが、それより僅かに短い距離で大仏殿に行けたのでしょうね。鹿にも会えるので、ワクワクして奈良公園へ向かった人たちの姿が、なんとなく偲ばれますね。
この公園手前の佐保川堤の桜並木はとても素晴らしいですが、その時季には公園のしだれ桜もそれに彩を添える見事なもの。(下は春に撮影した写真です)
遺構はこの公園手前の佐保川底にもレンガ橋脚の基底跡が見つかったとのことですが、それは別の方のブログにお譲りすることにして、佐保川沿いに帰路の奈良駅へ。
ちょっと余談を、、、、。
佐保川堤の桜並木は、奈良市街を通り抜けて九条の田園地帯あたりまで、堤を歩ける大仏記念公園あたりから下流に延々5km程続いています。
満開の時期には、奈良方向へJR関西線郡山駅を出て程なく佐保川を横切ると、左側車窓に桜並木が奈良市街近くまで続き、今年の春に奈良へ行った折りには、気の利いたJRの車掌さんの車内放送にスマホを見ていたお客さんも車窓の景色を楽しんでおられましたね。
<歩いたルート>
・大仏鉄道遺構めぐりのルートは桃色ラインと茶ラインで約10km。
・緑ラインは近鉄山田川駅から城山台公園(大仏鉄道公園)まで約5.5km、参考に示しました。
ご覧いただき有難うございました!