再びボランティアで倉敷市真備町へ(そのⅡ)~矢掛町へ

2018年12月4日
🔶 岡山県倉敷市真備町での災害ボランティア従事、この時は3日目の作業中に「明日も雨予報なので中止」との連絡有り。その翌日の水曜日が定例のお休み、さらにその後も天候は芳しくなさそうで懸念されたので、一旦帰宅することにした。
翌日帰る前に、小田川上流に位置し、真備町に接して同じく浸水被害のあった、岡山県小田郡矢掛町に行った。
西日本豪雨災害の時、Facebook投稿で救援を呼びかけていた、それが岡山県小田郡矢掛町。
      左:災害時の投稿写真。     右:今回撮影したほぼ同じ場所。
矢掛
災害後の早い時期には「真備町は救援が多いが、矢掛町には来ない」との地元の声をSNSで知った。
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読売新聞では度々災害各地の状況が報道され、浸水後2週間経った21日(土)の夕刊に「西日本豪雨ボランティア偏在」の記事。

14~16日の3連休間に真備町には5,241人のボランティアだが、矢掛町は621人となっていた。

🔸 なので、この時は災害救援ボランティアのシステムも知らず、あまり調べることもせずに、兎に角行ってみることにして、輪行旅をしようと購入していた「JR青春18きっぷ」と折りたたみ自転車を持って、早朝4時36分奈良のJR王寺駅を出発。
倉敷駅着9時35分。
一旦は新倉敷のボランティアセンターも考えたが、受付に間に合わないと判断し清音駅へ。清音駅で井原鉄道の代行バスで矢掛駅手前の三谷駅まで行き、そこから運行していた井原線に乗った。ただし代行バスに乗る前に「矢掛町ボランティアを県内参加者に限る」との情報を得たが、車窓の光景の状況を見て降りるかどうか判断しようと、、。

 ◼ この時の経緯は、(そのⅠ)でも記したブログ記事のYouTube動画で。
結局、この時には矢掛町のどこで災害が起こっているのかも把握できておらず、目的を果たすことなく帰路に。反省、、
実は、この時の車中からの撮影で、浸水後の中川、小田地域も撮影していた。
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コメリとDAISOの一部が確認できる。
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中川小学校あたりから小田地区にかけて広がるこの緑豊かな田園地帯も浸水していた地域で、車窓からはその面影は伺えない。
🔸 最初の写真に戻るが、中川地区を走行中、リニューアル工事を行っているかのようにも見受けられる店舗もあったが、気にしていないと知らずに通り抜けてしまう状況にまで復旧している様子。
実際、カメラをダッシュボードに固定し動画録画で走行していたが、この場所に気づかず、後で再生して判明。
上の写真の地域を通り抜け、小田駅手前あたりでターンして矢掛の宿場町へ。

降ったり止んだりの中、趣のある町並みを散策することに。

通りの中央あたり「やかげ町家交流館」の向かいや国道側に無料駐車場が有るので便利!

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この通りのメインは旧矢掛本陣。写真右奥の灯篭、立札の場所。矢掛の豪商、庄屋であった石井家の住宅で国指定重文。
 *本陣とは  江戸時代に決められた、宿場の中で大名や幕府等の身分の高い人々限定の宿で、大地主や庄屋の家が指定された。
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その並びの「小西屋」さん。壺の生け花が豪華。瓦軒下にランプ?
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明治時代の和洋折衷のようで、おしゃれ!
バイク、自動車関連の「小西屋商会」さんの店舗のひとつのようですが、Facebookでは町のイベントにも利用?
続いて矢掛屋本館。今は和モダンの旅館ですが、フロントの土間にお土産品、通り抜ければ奥に蔵のある中庭の趣き。トイレもあるこの場所は自由にとのこと。
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玄関前鉢植えのマサキに実が沢山。雨に濡れて色艶を増して綺麗。
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🔸 今度は本陣石井家住宅前を北に、「やかげ郷土美術館」へ。
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「やかげ郷土美術館」に付随して「水見やぐら」。美術館のシンボルとして建築されたとのこと。
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可愛い保育園児のおやつに ”こ~い、コイ、来い!”
水見やぐらの所以は写真の解説を。
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水に苦労した矢掛町の象徴ですね。確かに、歩いてみると小田川の本流と支流に囲まれ、堤防から下に降りていく感じの低い位置に宿場町が広がっており、特に南側と西側が、より高い堤防でガードされているように思われる。
古来より度々水害にあったところだが、今回の豪雨の浸水被害は文頭で示した町の西側で、支流を越えた先の中川、小田地区にまたがる広い小田川両岸地域で発生した。
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やぐらは高さ16m、この日は雨に煙る町の眺め。途中の階に過去の水害の写真が掲示されてあった。
昭和51年(1976年)9月の台風による矢掛町大水害の後、復興の意をこめて「矢掛の宿場まつり 大名行列」が始まり、毎年11月第2日曜日に行われているとのこと。観てみたい!またいつの日か、、。
入館料200円で常設展示室へ。矢掛町出身でいずれもその道の大家であった、洋画家「佐藤一章」氏と書家の「田中塊堂」氏の作品等を鑑賞。
同館には、町出身の三菱地所㈱社長・会長であった「渡邊竹次郎」氏が訪仏してピカソの工房を尋ねた際に買い求めた、ピカソ原作の絵皿3点と、そのときに、躍動的な槍を持った人物の絵柄とサイン、日付けをピカソ自身が書いた渡辺氏のワイシャツがご遺族より寄贈され、矢掛宿場まつりの前後に公開されている。
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館内には、江戸時代の宿場町模型と和紙人形の大名行列の展示や、吉備真備像、発掘された真備の祖母の銅製骨壷レプリカも展示されてあった。
また、町民ギャラリー(この時は地元の方々のちぎり絵作品展示)や「矢掛町に住む魚たち」が泳ぐ淡水魚水槽のポケット水族館、と多彩な展示で面白い施設。
まだまだ町の見所は有るし、無料駐車場傍に矢掛屋温浴別館の日帰り入浴ができる湯の華温泉もあったが、時間を費やしたので帰路へ。
🔸 帰りは、玉島から山越えで来た県道35号線ではなく、小田川沿いに走り、「吉備真備公園」に寄って行くことに。
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町外れから小田川沿いに国道486号線を走ると両岸に、雨後で緑が鮮やかな、まるで芝生の様な河川敷が続いているのに気付いた。

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これはGoogleで見ると真備町呉妹地区*手前まで続き、そこから下流に行くにつれ疎らになり、前述した宮田橋を越えた少し先あたりからは樹木の多い河川敷になっていたようである。
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*余談だが、「呉妹」は地区や施設、駅名等に表記されているが、ボランティアで調べていたら「呉妹」の地名はなく、「妹」と「尾崎」に分かれている。

調べると、その元は妹村と尾崎村が合併し「呉妹村」となったが、その後真備町の「大字妹」と「大字尾崎」となったようだ。(間違ってら、ごめんなさい。)

🔸 上のGoogle写真右寄りの「吉備真備公園」に。
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吉備公館跡に造られた公園とのことで、傍の吉備大臣宮の前に石柱があった。

真備像の右奥には前方後円墳を模した「古代の丘」がある。

「日本の歴史公園100 選」に選定され、一帯には桜の樹が多く、春はきっと華やかなんでしょうね。

写真の右側「館址亭」。休憩所ですが、なんと名物のうどん屋も兼ねていて、作業着姿のおっちゃん達や、車で来た会社員のような方々が続いて入って行った。
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3つの鳥居が並ぶ「吉備大臣宮」。
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吉備真備は、阿倍仲麻呂とともに唐に渡り、多種多様な文化をもたらし、さらに艱難辛苦を乗り越えて種々貢献したとされる、その経緯や高齢にして大臣に至った歴史は大変興味深く、急速に西洋文化を取り入れ日本が発展して行った明治維新の時期にも匹敵する様な、偉大な業績を成した人物だと思う。

その事をここに記載するのは ”寄り道し過ぎ” るし無理なので、この場所の紹介も兼ねて、この方のブログを参考にして頂きたい。

訪れて、あらためて矢掛町、真備町がたいへん歴史的に意義深い地であることを認識した。

真備町にもやはり公館跡地推定の「まきび公園」があり、真備一族の下道(しもつみち)氏の菩提寺もある。

また近くには、その氏族の関連も言われている大規模な「箭田大塚古墳」があり、どちらも冠水は免れたようだが、そんなことを憶うにつけ、古の街道が通る歴史豊かな矢掛、真備、そして総社の被災された方々の早い復帰と地域の復興を願う思いのとどまる事はないでしょう。

( 再びボランティアで倉敷市真備町へ ~完~)
 

ご覧下さいまして有難うございました!

 

 

 

 

 

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Posted by ss-kinkon