プチ「山の辺の道」ハイキング ~ パワーポット!三輪山山麓🌺 

2020年3月7日(土)

🔷「大神(おおみわ)神社」~「檜原(ひばら)神社」をプチ「山の辺の道」ハイキング、梅を期待して行ったが、桜も鑑賞。^^vvvvv

距離は短いが、上り下りも多く、適当な運動とゆっくり景観を味わいつつ、何気ない気付きも有ったりして、、、それでいて、行き交うハイカーにいっちょ前に声掛けして、、、こんなゆとりのハイキングもいいかな😅


                                 (*国土理院3D地図利用)      


🔹週末だが、比較的静かな参道を歩み、、、

檜皮葺で荘厳な国重要文化財の「拝殿」。三輪山が御神体なので、本殿は無く拝殿。

拝殿の奥には、「三輪鳥居」と称される三ツ鳥居が在り、鳥居の向こうは禁足地とのこと。結界の役割だろうが、起源は不詳らしい。

「拝殿」左手の「祈祷殿」前へ。神縁深い干支 卯(うさぎ)にちなむ「なで兎」が右手の「参集殿」に有り、見なかったが多分新型コロナV感染防止のため、何らかの対策がなされていただろう。

「祈祷殿」左奥の通路 “くすり道 ” を、新郎新婦の撮影の横をチラ見しながら😍、「狭井(さい)神社」へ。

🔹神水の湧き出る「狭井」がある神社なので、そこへ至る “くすり道 “沿道や境内には、薬草木が植えられ、薬効が記された名札が立てられていて、興味を引く。

🔹鳥居をくぐり参道を進むと、右手に歌碑。

 歌碑には、”皇太子妃殿下御歌” と刻まれてあり、立札に 『この御歌は 上皇后陛下が昭和五十年の「歌会始」においてお詠みになられたものであります 上皇上皇后両陛下に置かせられては さる昭和四十五年三月十五日大神神社にご親拝になり 鎮花祭について 殊の外深いご関心をお寄せになりました 、、後略、、』と。

             上皇后陛下御歌
          三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも
                      花鎮めすと 祭りてあらむ

両陛下がご関心を示された「 鎮花祭(はなしずめのまつり)」について、大神神社のホームページには、、、

『平安時代の律令の注釈書『令義解(りょうのぎげ)』に鎮花祭のことが記され、春の花びらが散る時に疫神が分散して流行病を起こすために、これを鎮遏(ちんあつ)するために大神神社と狭井神社で祭りを行うとあります。この注釈書からこの祭儀が『大宝律令』(701年)に国家の祭祀として行うことが定められていたことがわかります。、、中略、、
祭典には奈良・大阪・京都を始め各県の製薬業者や医療関係者が多数参列し、多くの医薬品が奉献されることから「薬まつり」の名でも知られています。、、後略、、』

階段上の注連縄の所で一礼して本殿前へ。その時右手の方で、記帳や杖を片付けておられたので、近づいてみると “三輪山登拝” の入山口がロープでクローズされ、入下山の受付が終了した模様。いつかは登拝できるかな、、、(^_^;)

参拝して、左手の薬水が湧き出る井戸「薬井戸」へ。

使い捨ての紙コップが用意されていて、ぐるりと幾つか有る蛇口のボタンを押して、有りがたく「御神水」を頂きました、、美味しいお水です!感謝!

ペットボトル等に入れる方のために、入り口に洗い場も用意されている。

「薬井戸」手前の水琴窟の竹筒に耳を当てると、清々しい音色、、ピキーチョン~、、かな?

その頭上に赤い実が美しいアオキ(青木)。薬用植物で、切り傷、打ち身などの他、「陀羅尼助」の黒色付けにも使用されている、、と。

 

「御神水」は井戸から頂くのは無料だが、社務所でペットボトル入りが用意されていた。

 

🔹参道へ下り、 鎮女池(しずめいけ)池縁の苔むした小さな林の小道を辿ると、作家*三島由紀夫が揮毫した「清明」の石碑(*敬称略)

横に経緯が述べられている大神神社社務所の説明板。それに依ると、、、

三島由紀夫は、昭和41年6月と8月の2回神社に来られ、8月には3日間社務所に宿泊して参籠(研修)。三輪山にも登拝された。その後の感慨を述べられた便りには、、、

『大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神ののおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。、、後略』

境内各所参拝、あるいは三輪山登拝された方で、”パワースポット”を感じた、とのブログ記事を目にするが、より強く霊的なものごとに接し、あるいは感じた方の想いも、そういうことなのかなあと、この三島由紀夫の”感想”を読みながら、ふと自らもそんなことに触れているような心持ちに、、、。

🔹境内を出て、茶店側の細道「山の辺の道」を北へ進み、石畳の下り坂の途中、狭井川の手前で「大美和の杜展望台」の北側に位置する、「大神神社ささゆり園」の広場に。

🔸ササユリは、かつて三輪山周辺にたくさん咲いていたが激減し、その復活を目指して「笹百合奉仕団」が結成され、活動を続けておられる。そのご苦労の成果で、5月下旬ころから参道北側や「大美和の杜展望台」の北側、そして上に述べた広場等で鑑賞することができる。詳しくは、大神神社ホームページ

ソメイヨシノ(染井吉野)は開きかけた蕾の枝も有るが、奥の小ぶりの別種の桜だけは、満開に近い!🌸🌸🌸

 

淡い桃白色なので、大島桜でもなさそうだし、、早咲きのトウミザクラ(唐実桜)でも無さそうだし、、、桜の品種は多くて、難しい。😓

 

アセビ(馬酔木)も満開。

 

🔹「山の辺の道」に戻り、石畳の坂を下ると、すぐに小川の橋を渡る。左手、白壁の建物に気を取られ、特に気にすること無く渡った小川、古事記にもゆかりの狭井川(佐韋河)

手前が、その「狭井川」。右奥、白壁の先の路傍に後述の歌碑。  (*Googleストリートビューより)

コンクリート橋の上から、反対側の小川(左端)あたりを撮した。草で覆われている。昔むかしは、幅広い川だったのでしょうかね。    アングルが拙くて、、m(__)m💦

🔸Goole Earthや等高線地図で見ると、三輪山麓西側のほぼ中央辺りに流れ出る狭井川。古来よりその周辺にもたくさん咲いていたという、ささゆりの古名が「さゐ」。それは三つに枝分かれした ” 三枝(さいくさ)” から来ているとのこと。

ちょっとややこしい気がするが、、、

先に記述した、両陛下がご関心を示された、大神神社(本社)と狭井神社とで執り行われる4月の「 鎮花祭(はなしずめのまつり)」は、大宝律令(701年)で国家祭祀として毎年必ず行うよう定められた疫病除けの祭り。

それとともに同様に定められたとされるのが、大神神社の摂社で、奈良市内に鎮座する「率川(いさがわ)神社」の「三枝祭」(さいくさのまつり・ゆりまつり)

ご祭神は「媛蹈鞴五十鈴媛」(ひめたたらいすずひめ)、すなわち、次に述べる歌碑の「比売多多良伊須気余理比売」(ひめたたらいすけよりひめ)で、笹百合がたくさん咲いていた”佐韋河”あたりに住まいされていたと。(古事記・日本書紀で名称が異なる)

率川神社「三枝祭」には、前日の6月16日に大神神社から、笹百合の花で飾った二つの酒樽を率川神社へ送り、神前にお供えする行事が行われる。

🔹さて、狭井川を渡って、白壁の建物「月山日本刀鍛錬道場記念館」その門前の道角に歌碑。

神武天皇の后となった「伊須気余理比売」、つまり上で述べた率川神社のご祭神「媛蹈鞴五十鈴媛」歌。天皇崩御後、腹違いの皇子と結婚したが、皇位継承を企み先帝との子等を殺そうとしていることを知り、そのことを歌に詠み知らせた、と。それにより息子等が母再婚相手の皇子をやっつけて、その一人が綏靖天皇になったと。

ドマラティックなそこらのことは、ご興味のお有りの方はWikipediaなどで、、、。^^;

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 の葉さやぎぬ 風吹かむとす

碑の歌を揮毫されたのが、人間国宝だった名刀工、二代目 月山貞一(がっさんさだかず)氏。

“二重奏”を奏でるような、まさにこの地に相応しい歌碑!!

🔹この地点から次の「玄賓庵」(げんびあん)までが、今回一番長い距離、、、と言っても700m程度だが。(^^ゞ💦

田畑の傍を通り、杉木立を抜けると白い花咲く梅園。

 

「山の辺の道」は「玄賓庵」の白壁前で直角に折れて、門前を通り、寺を巻くようにして北へ続いている。

 

「東海自然歩道」の案内。こちらのお寺については、多くのサイトやブログで説明されているので、サラリと、、、。

世阿弥作と謂れる謡曲「三輪」に登場するの名僧で、医師でも有った玄賓僧都の庵。元は檜原谷の方に有ったが、明治の廃仏毀釈でここへ移転したとのこと。

本堂は閉まっているが参拝の後、護摩法要の場や、一段高い山側の石仏、祠などをめぐり、石畳で辿るお庭は美しく掃き清められ、清々しい気持ちで山門へ。

山門を出る際に桜の開花に気付いたが、更に門に続く両側塀の角上に、ハト、、、瓦製の鳩。 「鳩瓦」は寺や神社、民家にも設えて有り、それぞれに謂れが有るようですが、このお寺の場合はどうでしょうかね?

🔹今日のゴール予定の「檜原神社」へ。

「玄賓庵」の西側塀沿いに、再び山の中に分け入って行く。この森へ入る手前の右手に歌碑があるが、黒ずんで見にくい。この先の檜原神社の境内手前、右側にも歌碑があるが、やはり文字の面が黒ずんでいる。何故だろう?、、、まるでスミを塗ったような、、、。😥🥵🤬 ホームページ、ブログなどで歌は紹介されているが、このことに触れているのは見当たらない。何故だろう?、、、

森の中ほどに、石標。ナンタって、一段と「山の辺の道」を歩んでると”高揚”させてくれるのが、ここ!

奈良の写真家*入江泰吉「 玄賓庵への道 (山の辺の道)」で、よく知られた景観。石標の文字は、作家*小林秀雄の揮毫。 (*敬称略)

この少し傾いた石標が余計に風情を醸し出しているが、入江泰吉の写真で気づいた。

入江泰吉 ~玄賓庵への道(山の辺の道)

(https://tofuist.tumblr.com/より拝借 Thanks!)

この写真の石標はほぼ直立、大きい松の樹が2本。現在は切り株のみ残り、右側は朽ちて地盤が崩れ、そのせいで石標も傾いたように思われる。

「山辺の道」(田中日佐夫 文・入江泰吉 写真)が出版されたのが1969年。道が堀切のようで、今より両端がきれいな様ですね。

 

🔸”最古の古道”「山の辺の道」、、、歩いていて、いつも(・・? 感じたこと。

時には 並行して少し下に通りやすい道が見えてるのに、 きつい山坂をくねくねと、時には分かりにくい狭い里村の路地をてくてく、昔の人がこんな回り道のようなところを???、、疑問に思いつつも、寺社や古墳などを巡れるハイキングにはもってこいの “古道” として自ら許容して歩いていた。

が、このことを研究された方々の論文で、そうなんや~と。

山口 敬太氏の論文

jsce土木学会学術論文等公開
景観・デザイン研究講演集 No.6 近代における奈良「山の辺の道」の形成と風景イメージの展開  (2016年12月)

                                                 2021.11  リンク切れのため  下記をリンクを追記         ⇊

近代における奈良・山辺の道の形成とその背景 – J-Stagehttps://www.jstage.jst.go.jp › jilaonline › 6 › 6_25 › _pdf

抜粋「古代から伝え遺されてきた道の上から,古代から大きく変わらぬだろう風景を眺める」というのが,奈良「山の辺の道」観光の決まり文句である.しかし,この道が歴史的に遺されてきた道ではなく,近代において観光振興の下に「再発見」された道であり,選ばれつくられた道であるということはほとんど知られていない.」、、、

なので、詳しくは上記のサイトでご覧ください。(PDF8頁)😵💦 面白いです!ハイキングされる方は、事前に目を通されるのがお薦めですが、面倒な方は「結論」だけでも、、、。

日本書紀に ” 崇神・景行天皇陵を「山辺ノ道上陵」” と記された以外には、近年、関西急行鉄道の『山の辺の道』の発行迄、その表現は殆ど見られなかったというこの地域、そこに古墳などの歴史的遺産・寺社のみならず遠近の山々、自然景観に溶け込んだ田畑、集落等の紹介とともに、詩歌や神敵な懐古のイメージなども織り込んで熟成させつつ、保全区域の指定も得て、いにしえの道でも有ったろう区域も包括し、それ故時には屈曲したルートでスポットを辿る ” 道 ” を定着させ、単に ” 古道を歩く “というものより、より我々を “いにしえのロマン” にいざなう想いを与えてくれた、そのような人々に、そしてこの研究をされた方々に感謝したい気持ちに、、、させてくれますよね。(^^♪ (*上記論文より一部の表現文言を流用しています)

🔹石標地点から峠を越えるとすぐに視界が開け、そのまま直進すると「檜原(ひばら)神社」の境内。

境内正面以外は大半熊手の線跡で綺麗に均されているので、遠慮して端っこをグルリと廻って正面拝所で参拝。先の若者たち4,5人が参拝後、熊手跡を歩いて山の辺の道へ出て行ったが、以外に目立つ足跡はなかった(._.?

境内に俳句と短歌の碑。「山の辺の道」には万葉歌碑が多数あり、よく紹介されているが、それ以外はあまり見受けないので、、、・ (*敬称略)

観月や 山の辺道を 桧原まで    黙々子  (*池田黙々子)

桧原神社までぶら~り、、でしょうか。

 

春がすみ いよいよ濃くなる 真昼間の
なにも見えねば 大和と思え    佐美雄  (*前川佐美雄)

 

現在の葛城市出身であった著名な歌人。こちらは、眺望の名所、檜原神社から眺めた遠景を詠んでおられるのでしょうね。

 

道標の傍に「奈良景観資産」説明板。穂原神社からの眺望を記している。秋分の日頃には、二上山の雄岳と雌岳に間に沈みゆく夕日を眺むる、、、悲劇の大津皇子の眠る山(雄岳)だけに、哀愁を帯びた夕焼けを望めるのかな。

 

「山の辺の道」は、向こうの石畳道からこちら側の地道へと続く(あるいは境内を通り抜けていく)が、今回は石段前から西へ進んで、大神神社へ戻る。

檜原神社の注連縄下石段から二上山を確認して撮ったが、スマホ画像は霞んで、、佐美雄氏の歌の如し。(^^ゞ

🔹茶店の前を西へ。近づくに連れ鮮やかな桜が見えてきて、歌声も聞こえてきた🙄???
近づくと、先程、神社ですれ違ったワンちゃん連れの方が、曲を聴いて休んでおられた。

「桧原わらべ花の里」の水森かおりさん「大和路の恋」記念碑

櫻井市観光親善大使・奈良県観光プロモーション親善大使、水森かおりさんの「大和路の恋」発売とデビュー20周年記念の碑。横のボックスのボタンを押すと曲が、、🎵~🎵~~~

早咲きの「河津桜」が数本咲いて、歩いてきたコースでは一番華やか!

でも、「三輪山」「桜井の里」「大神鳥居」などが歌われている水森かおりさんの唄声は、失恋の歌、、👩‍🦱💔💔💦

記念碑後方の枝垂れ桜や公園周圍の桜並木が咲くと、文字通りとても素敵な”花の里”でしょうね。Googleストリートビューでは、このような景観。(*Googleストリートビューより)

 

*Googleでは、面白いことに檜原神社南側からここへ辿ると桜並木。北側から辿ると、同じ場所が青葉繁れる景観になる。😋

🔹さてと、「桧原わらべ花の里」の西側沿いに竹やぶ道を南へ。

その先は下り坂で、竹やぶを抜けると「玄賓庵」から南の梅園傍の道標の有る地点に出る。(上下ともGoogleストリートビューより拝借 m(_ _)m)

右側の椿咲く広い田園側を行けば、平坦な道で集落を通りJR踏切を越え、大神神社参道からの県道へ出て駅近だが、そこはやはり「山の辺の道」を歩まねば、、、と左の元の道を帰路へ。

 


🔸三輪山山麓西側の半分程度しか歩いていないのに、こんなに色々なことに触れ、都度新しい発見を楽しませてくれる「山の辺の道」、、、また適当にぶら~り テクテク😅💦と。


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Posted by ss-kinkon