五條市賀名生(梅林🌺・南朝皇居跡)~「萌の朱雀」ロケ地~そして洞川温泉の名水を求めて

2019年3月9日(土)
今回は、奈良県天川村の名水 「ごろごろ水」 を求めて、そこへ行く前に五條市西吉野町の「賀名生(あのう)梅林」「賀名生皇居跡」「萌の朱雀」ロケ場所も訪ねて名水の汲める洞川(どろがわ)へ行く、欲張りぶらりの旅紀行。

昨年11月、阪急交通社(トラピクス)の企画「五新線ウォーク」で、五新線予定路跡を西吉野町城戸(じょうど)からJR五条駅まで歩いたが、途中の休憩場所だった西吉野町賀名生地区で川向いの橋上から、立派な趣のある茅葺きのお屋敷を眺めていた。

迂闊にもそれが歴史的な、後醍醐天皇等、南朝の天皇行宮(あんぐう)の賀名生皇居跡で、背後の山上には北畠親房の墓所も在ることを、後で知った。

    昨年のブログ記事はこちら  まぼろしの鉄道「五新線」を歩く~五新線ウォーク~
 
2018年11月10日 五新線ウォークの様子

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何時か再訪したいと思っていたが、その地が丘陵に2万本の梅を有する県下有数の農園梅林で、ちょうど花に覆われる時期だとのことで、そちらへ寄りつつ天川村洞川へ行くことに。
まさに ” 一石二鳥 ” なのだが、実は昨年、現地中学校の下駄箱清掃中にスカウトされた尾野真千子がヒロイン ” みちる ”役の河瀬直美監督の映画「萌の朱雀」、そのロケ撮影が行われた旧賀名生バス停が、すぐ其処なのにスルーしてしまった。
そんな悔しさもあり、梅林鑑賞後に賀名生皇居跡、旧賀名生バス停(恋尾バス停)へ行き、その後ルート途上で寄り道して「恋尾村の田原家」(みちるの家)として撮影に使われた山の上の家も尋ね、それから天川村へ抜けて、これも映画の舞台になった旅館のある洞川温泉街を通り、少し先で名水「ごろごろ水」を汲んで帰る “一石?鳥 ” の計画。
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Googleマップに今回訪れたルートを重ねた(上図)が、橿原市から五條市まで京奈和自動車道が使えるようになったので、王寺町から国道168号や24号線を走っていた頃より随分早く、楽に行けるようになった。
今回のルート: 現在無料の京奈和自動車道を往路(橿原高田~五條)利用し、五條市街から西吉野町を経て天川村洞川まで行き、復路は下市町から京奈和自動車道(御所南~橿原高田)を利用。
京奈和道五條インターを出て、五條市街で国道24号線を超え南へ直進すると、日本一なが~い奈良交通のバス路線で有名な和歌山県新宮市までの国道168号線。
ところで余談だが、王寺町も通るその国道168号線のことをちょっと。
国道168号線の始点(終点)は大阪府枚方市で、奈良の生駒市や王寺町を経由して南下するが、大和高田市から先は(私には)不明で、前述したように五條市内で突然また現れる?ヘンな?国道、、、。
新宮市で国道42号線に繋がり終点となる。
168号線は、「五條新宮道路」として継続して整備されているようで、文字通り道路の「五新線」。
賀名生では、以前のウオークツアーの休憩場所だった旧賀名生小学校跡のグランドに駐車(300円)。そこで地図を頂き、賀名生の里 歴史民族資料館向かいの坂道から登る。DSCI1732
入口道路先の分岐した細い脇道が特に急坂で、膝を痛めている身には、ストック持参が正解!だが、帰りの下りは更にキツッ!!
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おそらく標高差250~300m程度を、ずっと坂道を登っていく感じ。眼前には遥か金剛葛城山系。

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猪や鹿よけの柵が続く梅園の途中にお地蔵さま。ホッと癒されるひと時。

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標高の高い場所なので、満開は1週間程度先、ブログをアップする頃かな、、、?

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梅林には多くの方が来場。賀名生和田北口バス停では奈良交通バスに、帰りの長蛇の列。
バス停向かいの「賀名生の里 歴史民俗資料館」「賀名生皇居跡」へ。
下の写真は資料館、その向こうに賀名生皇居跡の堀家。
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後醍醐天皇は、鎌倉幕府による受難の後に倒幕で復権したが、共闘した足利尊氏の反発で再び対立、吉野に移り「南朝」を築いた。
一方、尊氏が擁立した光明天皇が「北朝」となり、以後相対する南北朝時代が56年間続く事に。
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京を脱し吉野に皇居を移す際に滞在した堀家を行宮(あんぐう)とし、南北朝合一までの後の天皇も入られたとのこと。
国指定重要文化財で現在も個人宅なので「堀家住宅 賀名生皇居跡」と表記されている。

賀名生皇居-1

このときは玄関先も周囲も工事中で裏手は写真左の状態。右は昨年11月の撮影。
背後の山腹に稲荷神社の赤い鳥居、その山上に2帝に仕え神皇正統記を執筆した「北畠親房」の墓。
上の写真を撮影した丹生川にかかる橋を渡るとすぐ「五新線」の旧バス専用道(2014年9月末で廃止)。
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その下をくぐり向こう側坂道(写真ではこの後ろ側)から「五新線」道に登ると、目の先に「萌の朱雀」で「恋尾バス停」だった旧賀名生バス停。
映画では、みちる(尾野真千子)を乗せた義兄の栄介(柴田浩太郎)のバイクが、その坂道を駆け上がってバス停前までみちるを送るシーンがあった。
DSCI1751バスに乗ったり、バイクの英介を待ったりしていたみちるが思い浮かぶバス停。なのだが、、、。
DSCI1747女の子たちも訪ねて来ていた。映画公開から26年余り経っても、人気は根強いですね!
でも、待合いのベンチの座布団など中は汚く、以前どなたかが撮した写真と今も変わらず、ダンボール箱のゴミ?が放置されていた。
 

昨年11月の「五新線ウォーク」の折には、「五新線跡のノスタルジックな風景や、江戸時代の町家が残る重要伝統的建造物群保存地区の新町地区を巡る観光拠点」として5月に開設された五條市観光交流センターで、「萌の朱雀」の映像を流してPRされていた。

 
それだけに、ロケ地は荒れてほしくないですね。五条市西吉野町の一つの”記念碑”として、訪れる人々の想いに報いるためにも。
 
「恋尾村の田原家」には、記念碑と五條市長のお言葉「ーー「萌の朱雀」のロケ現場になったことを記念し、そしてふるさとが栄えゆくことを祈念し、此処に碑を建立致します。」との立札があります。
 
映画で幼いみちるたち三人が入っていくシーンのトンネル入口や吊り橋なども、未だ訪れる方々がおられると思います。訪れた方々のブログの、荒れたロケ場所の写真を見るのは忍び難い思いですね、、、。
次に、天川村へのルートの途中に在る、「恋尾村の田原家」でみちるの家として登場した赤い屋根のお家へ。

 

国道168号線を南下。宗川野橋バス停を過ぎ、「五新線」道の高架橋をくぐるとすぐ左手の県道49号線、天川村洞川へ抜ける道へ。

 

しばらく走ると、右手の道端に、うっかり見落としてしまいそうな小さな案内立札。
(ここからは、Googleストリートビューの映像をいくつか使わせていただきます。)
GS1左折して坂道を登りますが、曲がりくねった細い山道。
登るにつれ、高所恐怖症なので足元がムズムズして震える思いで、まだかまだかとゆっくり、途中後方から来たバイクをやり過ごさせビビリながら車を走らせていく。
かなり登ってきた前方の台地のような山腹に建物。後で判ったが、そこが徳善寺で、そのそばが目的地。
目的地のすぐ手前、寺への上り道の下のカーブ際にNo.6の立て札。「恋尾上 垣内」と読める。
ドラマでは、みちるの家が「恋尾村の田原家」で、賀名生のバス停が「恋尾バス停」だが、何か関係が?垣内(かいと)とは集落のことだから、実際にこのあたりは「恋尾」なのか、旧い在所名かと *調べたが不明、、、。
追記。
*有りました!Web検索で、こちらの文献(論文)にその地名が。
ちょっと、長い”寄り道”ですが、折角ですので、、。
 山村社会の空間構成と地名からみた土地分類  ー奈良県西吉野村宗川流域を事例にー

                                人文地理 第41巻第2号 (1989)

論文の著者は、関戸明子群馬大学教授です。

愛知大学出身で奈良女子大学を経て群馬大学で教育学部社会専攻教授に就任された、この分野ではとても偉い先生。(Wikipediaでも紹介。経歴はそれに拠ります。)

その論文文献を一部ピックアップ、要点をマークさせていただきました。

sekitoprof
論文には、「ムラ人がどのような意味をもって、村落の土地を分割しているのかという問題を、社会的機機や土地利用とのかかわりについて言及しつつ、明らかにすることを目的とし」「目的であるムラ人固有の土地分類を探るための分析の手段として、ムラ人によって土地につけられ語彙化されている地名をとりあげていく。」と、土地の分類、地名付け、そしてそこにどのよう論理がみられるのか、という問題考察の分析事例として、西吉野村の平雄と勢井(せい)を選んでいる。
勢井地区は、みちるの家を訪ねたあと、平雄地区から天川村に出る際の、宗川に沿った県道49号線が、国道309号線の新五木と新川合の二つの長いトンネルに合流するあたりを中心とする地域で、宗川の源流部。
耕作が多い平雄地区と異り、山仕事が中心だったいう勢井地区を走ると、県道両側が鬱蒼とした山林の雰囲気も感じられ、あながち気のせいでも無さそう。
上の論文画像、右ページの平雄地区の図。
大崩(おおくずれ)、中平雄、恋尾の3つの垣内が示され、「恋尾」は正に実在の地名。
但し、現在では番地表記により、字(あざな)の下位の地名は地図には記されなくなっているが、多分地元では使われているんでしょうね。
No.6の立て札は、いわゆる「町内案内板」同様のものだったのだ。
また論文では、耕地、山林などの「小字地名」を調べ、地元住民の小字認識アンケート調査も行っており、そのデータが「土地利用が過疎化とともに失われ」小字地名の多くが忘れられ消え去った事を示す結果がグラフとして掲載されており、30年程前の学術誌掲載文献だが、これが「限界集落」などと、更に加速されている日本の過疎地の現況なのだろうと、興味をもって読ませていただいた。
(追記終わり、戻ります)

GS3

着いたとき、先のバイクの若者はすでにあちこちカメラ撮影中。裏手の広場には自家用車と軽トラも。
畑では若い?男女お二人が農作業中。縁側を撮影したいがと声をかけると、「空家ですからどうぞ」とのお返事。
裏庭広場の入口に石碑と立札。
DSCI1752「恋しい人を想いながら 幾千年も前の人たちも この山を見つめていたのだろうか」河瀬直美
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石碑の裏面には「萌の朱雀」が刻まれ、横に太田好紀五條市長の名前で平成25年2月19日付けの「萌の朱雀」撮影地記念碑の説明立札。下部に英語表記も。
「萌の朱雀」河瀬直美監督が一九九七年の第五十回カンヌ映画祭で新人監督賞を史上最年少日本人で初めて受賞した作品です。
日本人の原風景を世界に知らしめ歴史に名を残す作品がここから誕生しました。
この地「平雄」が河瀨直美監督作品「萌の朱雀」のロケ現場になったことを記念し そしてふるさとが栄えゆくことを祈念し 此処に碑を建立致します。
以下の2枚の写真は、別のブログからお借りしました。 (後述)
「写真紀行★風に吹かれて」シネマ紀行 萌の朱雀(もえのすざく)
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この写真は数年前に撮影されたと思いますが、現在もほぼ変わりませんね。
大きな青色タンクには山からの水がかけ流しで、みちるの歯磨きシーンの洗面台、屋内のかまど、台所のプロパンガス給湯器など今もそのままの生活感が感じられた。
suzaku-hiraomitiru3みちるがパジャマ姿?で登り、景色を眺めていた屋根。(行った時はこちらの山側に行けることを知らず、残念、、。)
撮影とはいえ、この高地でこの高さの屋根、下の写真で解るように、恐ろしい!
尾野真千子さんのご実家は、この背後の山の向こう側あたりの、やはり山の上に在るみたいなので、慣れているのかも 。
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左手の納屋を通り抜けると、みちるの義理の祖母 幸子(和泉幸子)、が遠くを眺めて眠るように座っていた縁側に。
この縁側に腰かけて、同じように山々を眺めていた思いも、わずかだが実現。
東に遠望する山々は武士ヶ峯、高城山、天狗倉山など1000m級の山で「弘法大師の道」の通る修験の山。
その向こうが天川村。そして大峰山へと修験者の往来する洞川。

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DSCI1760それにしても、耕されて作物が育つこの急傾斜地、下の県道までは直線距離で340m程。
それを車道では3.4km。高低差では恐らく200m位はあるだろうが、元より標高が高いので、感覚的にはもっと登ってきたような気がする。
GM1河瀬監督「産経 WEST」の記事

その記事の中で数年前の携帯も無かった頃に、ロケでこの地で滞在したご苦労の思い出と、一方、過疎化の進む村への想いを「ーーー何がができるだろう。あの映画を誕生させることができた恩返しに。いや、自分ごとのように。つまりは、わたしは村を失いたくないのだ。ーーー」と吐露されておられる。

*前述の「恋尾村の田原家」(みちるの家)の2枚の画像をお借りしたブログについて。
この映画、あるいは「五新線跡」について関心をお持ちの方には是非見ていただきたいと思う。
それは、城戸から五條駅までのバスが廃止となる前(2014年9月末)の実際の賀名生バス停付近、バス待ちの生徒や走行するバス風景を記録されておられる。それのみでなく、ロケ先の学校、吊り橋、洞川の旅館などが写真も綺麗に撮影されておられる。
また、管理人の方は、「写真紀行Blowin’ In The Wind風に吹かれて」のタイトルで「日本中を旅して撮影した写真と紀行文」をブログ記事にされておられる。旅好きの方にはお勧め!
さて、県道49号線へ、下りはもっとドキドキしながら降りて、洞川へ。
途中のGoogleマップのお寺をGoogleストリートでチェックしていると、ヒット!
(ここからは以下3枚は、再度Googleストリートビューの映像を使わせていただきます。)
GS4栄介とみちるの母 泰代(神村泰代)が雨宿りをした、気がかりな?シーンの場所。
GS4-2県道49号から天川村への途中、分岐した支流沿いに少し南に入った西吉野町川股の西方寺。
戻って県道を東へクネクネと進むと、走り慣れた下市町からの国道309号線、新五木と新川合の二つの長いトンネルの中間に。
トンネルを抜けた先の川合で左折、更にすぐ左折し、みたらい渓谷方面への309号線とは別れて県道21号線の登り坂を洞川温泉へ。

m5

洞川温泉街は閑散としてはいるが、この日も以外に若いアベックや旅行者が数組散策中。
夏季は縁側を開放し、提灯をたくさん下げた独特の趣のある温泉旅館街。
上の画像奥に進むと右手に「萌の朱雀」で栄介と泰代が旅館で働くシーンの「光緑園西清」があり、この旅館街では珍しく門内に綺麗な庭園を設けている。
その門前の様子は紹介した「写真紀行★風に吹かれて」でご確認ください。(Googleでは門前に送迎バスが止まっているので)
DSCI1761なんと温泉街を抜け採水場に向かう道に積雪!杉木立の細くなった場所はやや多く、ノーマルタイヤなので少し不安がよぎったが、難なく採水する「ごろごろ茶屋」の駐車場に到着。

この道の先は、大峰山女人結界門のある登山口に至るが、この場所も標高は1000m近い場所だろう。

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「日本の名水100選」に選ばれた鍾乳洞からの洞川湧水群の軟水のおいしい水。

 

向かい側の五代松鍾乳洞の見学駐車場も兼ねる採水場(500円)は、周囲に採水管が取り付けられ、コックをひねると勢いよく湧水が出る。
今回は2Lペットボトル6本ケースを3箱、18Lポリタンク1つ、1人の体重くらいの量を採水し、慣れた道をまるで飛行機のように下市町までグングン高度を下げ、帰路へ。

 

今回写真撮影がまずく、他の方の画像やGoogleを利用させて頂いた。感謝!
そして名水で沸かしたおいしいコーヒーを味わいながら、想いを巡らせている。

ご覧いただき有難うございました!

 

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Posted by ss-kinkon