奈良ぶらり散策~大仏鉄道記念公園・佐保川の桜

2019年3月31日

近鉄奈良駅からスタートする「きんてつハイキング」に参加。
フリーハイキングなので、例によってマイペース、マイコースで、しんどそうな所はショートカットし通りがかりの花も眺めながらの脇道、寄り道ぶらり散策。
大仏鉄道記念公園のしだれ桜と、あわ良くば佐保川沿いの桜並木も楽しめるかなと思いつつ歩を進めるが、たまたまこれまで知らなかった興味あるスポットに遭遇!
日輪山 称名寺(しょうみょうじ)の桜
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奈良女子大学近く「やすらぎの道」通りの内侍原町交差点かどに立つ石標に気付き、渡って確認。DSCI1838

「茶礼祖」の文字に惹かれ西に歩いて、立ち寄ることに。
DSCI1840「茶礼祖 村田珠光旧蹟」は奈良市菖蒲池町の日輪山称名寺に。
この写真の左手前に立派な寺名の石標があるのですが、うっかり、、、。💦
DSCI1841お参りするつもりでしたが、本堂は閉じられていました。(ホームページによると、見学・拝観は普段はお断りし、称名寺の僧であった茶道の始祖「村田珠光」の「珠光忌」開催時のみとのこと。)
本道左手の立派な桜が気になったが、それより右手奥の「お地蔵さま」にお参りすることに。
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屋根で覆われた場所の大きな3体の地蔵尊にお参りしたあと、奥へ。
当初、本堂あたりからは通常の寺院の墓地かと思っていたが、近づいてみるとお地蔵様集団 。
ちょっと眼前の光景がピンと来ません。遠くにも目をやって、なぜこんなにお地蔵様がここに?
帰宅後調べてみることにして、桜を。
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美しい大きな桜が庭を覆うかのように垂れています。
その奥には、後で他の方のブログで知った、お茶会などの時の[客殿]。
客殿の向かい側が茶室なのでしょう。そこを参道側から撮影。
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気になったのが、左側の由緒ある門風の屋根、菊の御紋があります。
お寺のホームページに「寺伝によれば宮廷の祈願所にも定められ」とあるのでその由縁で、この前に通路はないようだが、塀に設えられているのだと思われる。
京田辺の「一休寺」にも、もっと大きいが屋根に菊の御紋のこんな形式に似た門がありましたね。
「称名寺」のこと、特にお地蔵様「千体地蔵尊」のことは、写真が多い(リンクフリーなので)こちらを紹介。  「奈良まちあるき風景紀行

大仏鉄道記念公園のしだれ桜

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称名寺を出て更に西に行くと、船橋商店街の通り。そこを北に向かうと三叉路になっている突き当たりが、「大仏鉄道記念公園」。
この付近に明治13年、9ヶ月余り開業していた関西(かんせい)鉄道の「大仏駅」があった。
DSCI1858ひとつ上の写真に橋が写っているが「下長慶橋」。橋を寄贈した「吉村長慶」の名をとっている。
但し、その時の橋は下流にかかっていたが流されて今は無いとのこと。

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いつもは、大仏鉄道記念公園のしだれ桜を鑑賞後に、すぐ近くの路地から佐保川北側(右岸)の桜並木堤防を行くが、今回は下長慶橋付近の川底に、奈良駅へ向かった大仏鉄道の橋脚台の名残りが有るとのこと、以前来た時未確認だったので、確認がてらに南側に回った。
そこは四角に掘り下げてあり、排水路はつけているが水が溜まり台座は見えない。(写真に丸で囲った部分)
その際に、その少し下の護岸壁に何やら石像と文章らしい石碑を認めた。
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どちらにも、「宇宙庵 吉村長慶」とある。
この地から北へ500mほどに「長慶寺」という寺があるが、” 豪傑かつ奇妙な人物 ” で知られた「 吉村長慶」が建立した寺だとのことで現在も見学できない、というか、山門前の石標を見るとまず、立ち入る気には成らないのでは無いか、、、と思う。
この長慶寺については、やはりこちらで「奈良まちあるき風景紀行
上の写真の人物像は十字架に貼り付けられたキリスト、孔子、釈迦のようで、太陽に向いており、一部埋まり読み取れないが「汝等信徒よ此高光大御神に合掌禮拝せよ長慶宇宙庵吉村長慶」と刻まれているらしい。
この石碑もよく知られているようで、ブログでも数名の方が取り上げておられるが、なぜ、水の浸かるこのような場所に?
佐保川堤の「川路桜」並木へ
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「佐保せせらぎの里」で寛ぐ、多分「きんてつハイキング」の参加者。その傍らで、地元の皆さんが川の清掃活動をされていました。
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佐保川堤の桜並木は、奈良市街を通り抜けて九条の田園地帯あたりまで延々5km程続いている。
「川路桜」と呼ばれ、江戸時代末期に奈良奉行「川路聖謨(かわじとしあきら)」が佐保川、奈良公園等に植樹した事にちなんでいることが「佐保川・川路桜保存会 佐保川を美しくする会」の案内板にあった。
皆さんのご努力で、こうして楽しませて頂いているのですね。感謝!
第23回佐保川・川路桜祭り  3月30日~4月7日
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「佐保せせらぎの里」の近く、道端に万葉歌碑。
Googleマップにも「佐保川左岸歌碑」と載っている。

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ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも

大伴宿禰家持(万葉集巻6-994)

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月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも
大伴坂上郎女 (万葉集巻6-993)
ひとつ上の写真の歌碑、大伴宿禰家持の歌は、16歳の時に下の歌碑の大伴坂上郎女、その娘の坂上大嬢に贈ったとされる恋の歌。
郎女は家持の父の大伴旅人の妹。なので従妹にあたる大嬢に恋をし後に妻にした。と他の方のブログに学んだ。一時妾も持ったようで早熟多感な男性だったんだ。羨まし、、、チャウチャウ、、。
(4/2追記)
家持は実母の死後、叔母の郎女が育ての母。彼の歌の才は父は無論のこと、郎女の影響も大きいか。
二人の「初月(みかつき)を詠んだ」歌碑が並べられているのも、なかなか粋なというか、味なことでしょうね。
ところで、昨日新元号が発表されましたね。万葉集編纂のまとめは大友家持の手による説が有力ですが、その父大伴旅人が大宰帥(だざいのそち)の時、その官邸で行われた「梅花の宴」で詠まれた歌が万葉集巻五の「梅花(うめはな)の歌」32首。その序文が、
天平二年正月十三日に、帥(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)きき。

時に、初春の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす
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DSCI1886ぼくちゃんたちは チンチンチンの音でUターン、花より “でんちゃ~!”🚎
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DSCI1897このときは中国か台湾からと思われる団体さんが多かったが、中国語が飛び交うモデル撮影も。

これから満開を迎える花に先がけて、みなさんの投稿写真でも大いに楽しませてくれた「河津桜」は、もう若葉を繁らせて、、。
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このブログ記事を投稿する4月1日(月)、また冬型の気圧配置で寒くなるようだが、桜は満開に向かい夜桜ライトアップが綺麗でしょうね。
      第23回佐保川・川路桜祭り  3月30日~4月7日 

saho

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Posted by ss-kinkon