大和三山ならぬ(^^ゞ二山巡りハイキング ~ 災害ボラ研修前にテクテク💦(前編)

2019年12月14日(土)

😅二山巡りハイキング」のことを(前編)、「災害ボランティア研修」を(後編)にして記事にまとめています。

🔷この日は奈良県・奈良県社会福祉協議会主催の【令和元年度 災害ボランティア登録者連絡会】災害ボランティア専門技術研修奈良県社会福祉総合センターで実施された

🔸開催目的を募集要項により要約するとーーー「毎年頻発する水害。被災後の生活復旧も大きな課題だが、被災家屋への適切な対応により損傷をより少なく抑えることができる。水害被災後の適切な対応方法を学び、復旧に必要な技術を習得することを目的に実践を交えて学ぶ機会として開催。」ーーーということで、今回は「被災家屋の床下復旧(編)」。

奈良県社会福祉協議会の所在する奈良県社会福祉総合センターは、畝傍山の麓、近鉄「畝傍御陵前」の北東側。

研修時間は 14:30~17:30 。午後からなので、それまでに近鉄「大和八木」駅から耳成山へ向かい、次いで香久山を経て西の橿原神宮境内より畝傍山へ登り、「畝傍御陵前」へ下りて来て研修へ、と思い付きで適当に行けるところまでやってみようと考え出発。

黄色枠線は、現在推定されている「藤原京」およその範囲をマーク。紫色の線が、歩いたルート。(Google map利用)今回は狭い範囲の行動だが、これをもとに、この次には逆周りで、畝傍山から始めて甘樫丘を経由し、香具山の東側辺りも含めた、藤原京跡のより広い範囲を目標にしたいと思っている。

🔹さて、家を出るのをのんびりし過ぎたようで、大和八木駅からスタートした時刻が11:10。

近鉄「大和八木」駅ガード下商店街の北側通路を東へ。

国道24号線横断は、その先の交差点に横断歩道も陸橋も無いので、地下道を通る。近鉄百貨店の地階入り口も兼ねている。

近鉄百貨店東隣りが橿原市の「橿原文化会館」。子供さん向けのイベントか、” ドクターイエロー”も。子供ならずとも、ちょこっとくすぐられて足を止める。大人も乗れるんかなー?

10分ほどで、耳成山が眼の前に。標高139.7mの独立した死火山。西南側は田畑と公が広がっているので、山容がよく見える。

🔹南側の参道(登山道)入り口。山頂少し下の「耳成山口神社」までは、直登に近い鳥居からの参道と、右側の緩やかにループ状の登山道があるが、上りは鳥居側を。 灯篭が立って参道らしいが、足元は岩や木の根が露出して、イッチョ前の登山道っぽい!(^^♪

年配のご婦人を途中でお声がけして追い越し、「耳成山口神社」着。参拝を済ませてから左手の登山道へ。

耳成山頂着11:55。

頂部の休憩広場ベンチで休むと、隣のベンチでお弁当中のご婦人が “どちらから来たの” と親しく声をかけてくれ、また通りがかった散歩中らしい年配の男性も、問わず語りにいろいろ教えてくれた。

広場から西側に三角点標石。この標石は側面に「三等三角點」と刻まれている。

後で写真で気が付いたが、天部に真円の何かが埋め込まれているように見られる。三等なので15cm角の標石。写真上でそれから推測すると直径1.5cm。貼り付けではなく、丁寧にきれいに埋め込んでいるように見えるが、、、、なんだろう??

🔸山のブログの写真を見ていると等級に関わらず、各地の三角点標石にあるようなので、調べると ⇒ 場所情報コード (ucode) が埋め込まれているとのこと。これについては、国土交通省の「場所情報コードとは」に説明されている。

「場所情報コードは、特定の地点の位置情報を皆で共有するためのものですので、公共の施設や商業施設の出入り口など、地面に対し固定されていて、皆が立ち入りでき、かつ誰もが同じ所だと思える目印となるものがあるような地点が対象となります。」

だから、三角点標石に限らないのですね。まあ、三角点標識だって山に限らないのだから同じか。

で、例えば「耳成山」の情報は、下図のように表示される。

この「場所情報コードシステム」は国土交通省のホームページ

場所情報コード【uPlace】(https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/uPlace.html)ぺージの場所情報コード閲覧システム

で、「パソコンで利用する」あるいは「スマートフォンはこちら」をクリックすると地図が現れ、目的地に合わせて適当に拡大して、左側の欄の「検索実行」をクリックすると赤いマークが表示され、その地点の情報が表示される。その先は、結構専門的でよくわからないが、「場所情報コード閲覧システム」ページに利用上の注意が記載されている。(コードの取得利用については登録が必要。)

上の地図で見ると香具山にはないが、藤原京跡や本薬師寺、畝傍山にも設置されているのですね!

🔹さて、三角点標石近くに「明治天皇大演習御統監之地」の碑。さっと調べたが、昭和7年11月11日の記録・写真は有ったが、明治の記録は探せず。この地を野外監統部としたことは、たぶん耳成山北方面で大演習が行われたのかな。まさか畝傍御陵東の藤原京跡の地は無いと思うが、、、。

西側、靄にうかぶ二上山。

  耳無の 山のくちなし 得(え)てしがな  おもひの色の 下染(したぞめ)にせむ
                 「古今和歌集」よみ人しらず

神社前の左手を下りる。

写真正面が、登り口鳥居の右手の道に至るが、自動車道が垣間見えた左の階段を降りることに。

ここにも立派な鳥居と、”参道” ならぬ “山道” の標石。実はここは畝傍山のほぼ真東に位置していたが、最初の南側に近いだろうと思い込んで前の道を直進、、、 米川に架かる橋を渡り右折、更に路地を左折したところで、近鉄線に行き当たらないことで勘違いに気づいた。

橋の近く、道端に皇帝ダリアそのまま少し東へ進み広い道で右折、南進すると、近鉄「耳成」駅の踏切。この道を直進すると明日香へ通じる道で、目的の香具山西側に出るので、結果オーライ(^^;)v。

個人宅のリース飾りが美しい!

JR桜井線(万葉まほろば線)の踏み切りを越えて、、、

コンビニの在る交差点に至ると、香具山はもうそこ。

香具山の丘陵の向こうに、音羽山、竜門岳、多武峰などの山々。

歩いていると前方に乗用車が停車。路肩を行き過ぎようとすると、窓を開けていて「乗っていきませんか?」とニコニコして声掛けしてくれた男性。丁寧にお断りとお礼。多分、飛鳥あたりまでかと、気遣ってくださったのだろう。耳成山での方たち同様、このあたりの方々だろうか、旅人への心配りが嬉しく、足も軽やかに。

🔹香具山には「天香山神社」辺りから登ろうと、適当に「八釣山地蔵尊」の案内板と「天香山埴安伝承地」の案内石標、それに可愛い坊やの絵標識がある角で左折。

数メートル先で路地を右折し、行けるだろうと「興福寺(八釣山地蔵尊)」と「畝尾坐建土安神社」の間の道を行くと、、、

結局、以前見学(前述ブログ記事)した奈良文化財研究所「藤原宮跡資料室」の裏手を周って元の明日香へ通じる道へ。なので、以前登った天理教協会の前の道から進むことに。

案内標識の「香具山山頂」に従って、山中へ。

登山道の左側には舒明天皇の万葉仮名の大きな歌碑が立っているが、その後ろにも小さな歌碑。

  久方の 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも
              柿本人麻呂(万葉集巻10の1812番)

ということだが、「久方の天の香具山、、、」くらいまでは読み取れるが他はどうも、、、(^^;) 

ましてや舒明天皇の万葉仮名のなどとてもとても、、、。でも有名なので、、、。    参照「暇森の会2015のブログ」

山(やま)常(と)庭(には) 村山有等(むらやまあれど) 取與呂布(とりよろふ) 天乃香具山(あめのかぐやま) 騰立(のぼりたち) 國見乎為者(くにみをすれば)  國原波(くにはらは) 煙立龍(けぶりたちたつ) 海原波(うなはらは) 加萬目立多都(かまめたちたつ) 怜憾國曽(うましくにそ) 蜻嶋(あきづしま) 八間跡能國者(やまとのくには)  舒明天皇(万葉集巻1の2番)

イヌホオズキ(犬酸漿)の花咲く山道を上ると、、、

山頂広場の奥に祠。「國常立神社」

広場から西側に望む「畝傍山」。その奥に霞んで、大和葛城山から続く尾根の「岩橋山」「二上山」。

標高152.4m 山頂到着13:15頃。

香具山と大和三山については、この案内が端的でいいですね。

ともあれ、「香具山」頂上には「国常立神社」、麓に「天香山神社」、そして近鉄駅名は「香久山」と、、、ややこし!

香具山の南側より下山、写真左側の集落山際に「天岩戸神社」があるが、時間にゆとりがなくパス。南側の道を西へ。

🔹明日香へ抜ける県道を越えると、立派な鯱屋根の堂々としたお寺「少林院 法然寺」で山号は「 香具山」。浄土宗で法然上人二十五霊場の第十番とのこと。

少し西へ進むと「紀寺跡」の案内板。

7世紀後半に建立されたと推察され、平城遷都の際に平城京外京に移転されたとも。

🔸案内立札で興味深いのは、下の地図を見るとわかるが、この「紀寺」とこれから通る「本薬師寺」が「藤原京朱雀大路」を挟んでほぼ対称であること。

*「藤原京朱雀大路跡」と「本(もと)薬師寺跡」については、「大和三山に囲まれ~藤原宮跡・本薬師寺跡~ホテイアオイと野の花散策」をご覧いただきたい。

「県史跡 紀寺跡」案内立札の記述は『朱雀大路を挟んだほぼ対称の位置に天武天皇が建てた薬師寺(本薬師寺)が位置することから、ー中略ー 国によって建てられた官寺とも考えられている。』とのこと。

相当大きな寺域であったろうと推察されてはいるが、パッと見ただけでは「本薬師寺跡」の塔基壇跡などの地形的な特徴は見られない。

それにしても、ここは「県史跡」で整備されて案内立札で説明がなされているが、これから行く「本薬師寺跡」は「紀寺」と同じく藤原京の一角を示す大きな寺域であったと推測され、天武・持統天皇ゆかりの史跡なのに、国の「特別史跡」の指定を受けながら、それらを示す「紀寺跡」のような、ある程度詳しい案内立札もなく、整備されていないのは何故なのか(-“-)??

🔹その先に「奈良県立橿原公苑明日香庭球場」。道を挟んで両側に、木立に囲まれた多面のテニスコート、さすが県立、大規模!

更に西進、三叉路の手前左手に祀られたお地蔵様。三叉路を左折し、飛鳥川に架かる橋を渡り右折。

川沿いに進み、次の交差点を左折して西へ行くと「本薬師寺跡」はもうすぐそこ。

この「飛鳥川」を逆にさかのぼると1.5kmほどで「甘樫丘」に。次回はそこも、、、。

🔹「本薬師寺跡」エリアに到着! 耕された畑が広がり、初めての人はここが水田にホテイアオイの花で埋め尽くされる絶景スポットに変わるとは、想像しがたいと思う。

こんな感じ! (前述のブログ記事にアップしている写真の一つ)

東塔基壇跡の傍、枯れたホテイアオイがすき込まれた畑の間を通り抜け、現在「白鳳山醫王院」の境内となっている本薬師寺金堂跡へ。

ホテイアオイの時季とは打って変わって静寂な境内、醫王院のお堂へお参りし、西側から元の道へ戻る。

国道169号線を越えると、「畝傍山」の手前に近鉄「畝傍御陵前」駅。

時刻は14:10頃なので、駅近くの研修場所「奈良県社会福祉総合センター」にちょうど良い時間に到着、本日の「二山巡りハイキング」はゴール!(^^)v

8kmちょっと程度の歩行距離でした。

🔸センターでの災害ボランティア専門技術研修のことを、次のブログ記事「災害ボランティア研修 ~ 大和二山巡りハイキングの後に(後編)」で続けます。

 

以上、ご覧下さいまして有難うございましたm(_ _)m。

 

 

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Posted by ss-kinkon