明神山と世界遺産~百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録記念シンポジウム(王寺町)

 

2020年2月15日(土)

🔷王寺町文化福祉センターにて開催された「百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録記念シンポジウム~明神山と世界遺産」

会場の「王寺町文化福祉センター」は、王寺駅南口からバスで10分程度、明神山山頂のほぼ真東に位置する。

奈良交通バス「王寺ニュータウン循環・内回り」ルートだと、「王寺町文化福祉センター前」の一つ手前が、明神山登山口に近い「明神四丁目」停留所。

なので、ゆかりの地に近い場所での開催、、、なのかな。(‘◡’)                                    *Google map利用

何となく高松塚の「飛鳥美人」をイメージさせるような王寺町文化福祉センターの”壁画”、、、

そして、入館すると受付には、まさに「飛鳥美人」!!(^^♪

🔹第1部は、白石太一郎先生と河上麻由子先生、著名なお二人方による基調講演。

それに先立って、平井康之町長と雪丸、それに大阪府堺市から「ハニワ部長」も加わって、開会のご挨拶。

次いで、明神山からの360度パノラマ映像を紹介。

*明神山パノラマ映像は王寺町観光協会サイト(ココシル)で見ることが出来る。観光スポットや雪丸、 グルメのことなど多彩な情報を得ることが出来る楽しいサイト ^_^V

🔹白石太一郎先生の講演テーマは、「明神山から百舌鳥・古市古墳群を考える」。

『古墳とヤマト政権』等の著者で考古学の権威だけに、直接お話しを聞ける機会がとてもうれしい

大和川流域の多くの古墳群と淀川流域の数少ない古墳、一定規模以上の古墳の分布に鑑み、紀氏の例を挙げ、墓(古墳)はその政治勢力の本拠地に造られるもので、ヤマト王権の地域的基盤が大和川水系の大和・河内・和泉にあって、大阪平野の勢力がヤマト王権の盟主権を掌握したことに他ならないと、図表を示してお話しされ、大変関心を抱いて拝聴した。

年代は今回のお話しより幅広いが、これまで事あるごとに各地の古墳を訪ね、県外は百舌鳥・古市古墳群は無論、近つ飛鳥風土記の丘周辺の一須賀古墳群など、更には岡山県、京都丹後あたりの古墳等々、なぜか思い出すとあちこち訪れていたので、それらと歴史的背景を重ねつつ時間の経過が惜しい、興味の尽きないお話しでした。

🔹ついで、川上麻由子先生のテーマは、「百舌鳥・古市古墳群と倭の五王」。

中国の歴史書の記述から、5世紀頃の 讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ) の5人の倭王が、時の中国南朝(漢人の王朝)に朝貢し*冊封を受けていたが、南北朝時代の中国、そして高句麗・新羅・百済の朝鮮国の東アジア情勢からみた倭国の動勢を解説。

*冊封(さくほう) ⇒ 端的には、倭王として君臣関係を認めてもらい、朝鮮半島への武装体制構築。またそれ自体が種々の文化をもたらす手段でもあった

興味深かったのは、歴史学ではよく議論されているが、宋書・梁書にみる倭五王と日本書紀による天皇系譜との対比。そのうち、済は允恭(いんぎょう)天皇、興は安康(あんこう)天皇で、武は雄略(ゆうりゃく)天皇で良いのか?と、、、そして、倭王武=ワカタケル大王=雄略天皇 で構わない、との考察。

倭王武以後に朝貢は停止されるが、天皇系譜を示して、21代雄略天皇以降は、後継ぎが無くなった25代武烈天皇まで不安定で、倭の五王とは直接つながりのない、応神天皇5世子孫の越前に居た継体天皇(26代)が、武烈天皇の姉の手白香皇女と結婚し、その子が27代欽明天皇となるまで、謂わば “朝貢どころではない” 状況だったろうと推察、、、と話されたと思うのだが、、勘違いかも(^^ゞ

*応神、仁徳に続く5王の陵墓は安康(興)の菅原伏見西陵(奈良市宝来)以外は、世界遺産の百舌鳥古墳群か古市古墳群かの古墳に葬られているとされている。但し、ヤマト王権なので即位はほとんど奈良の地(宮)。これは、前述の白石太一郎先生ご講演の、大阪平野の勢力がヤマト王権の盟主権を掌握したことに他ならないとの推察にあたる。

🔹第2部のパネルディスカッションには、平井康之 王寺町長が加わり、コーディネーターは岡島永昌 王寺町文化財学芸員。

明神山三角パンレットを考案された岡島氏の、文化財学芸員としての巧みなコーディネートに、博識ある平井町長は、的を得た質問や溢れる思いのビジョンを語られるなど、さらに面白味の増したひと時であった。

🔸ちなみに、(財)地域活性化センターの「第7回 ふるさとパンフレット大賞 -思わず手にとる、旅にでたくなる!」で、「南伸坊賞」を受賞した「奈良県王寺町で楽しむ世界遺産ビュー 明神山」パンフレット

立てることが出来る三角形のパンフ。なんと底辺は、明神山の標高273.6mを表して27.4cmに作られている!さらに折りたたんだ他の面には「明神山山頂までの道のり」と「明神山から世界遺産ビューを楽しむ方法」を掲載。

裏面は東西南北四方の遠景360度ビュー

◾東方向  世界遺産ビュー① 古都奈良の文化財 ⇒ 飛鳥・藤原・平城京の都の開かれた地。青垣の山並みの裾に崇神天皇陵・箸墓などの大和古墳群、飛鳥に至る南には、畝傍・耳成・香具山の大和三山。登ったことの有る、霧氷で名高い「関西のマッターホルン」高見山もくっきり。

◾北方向  世界遺産ビュー②・③ 法隆寺地域の建造物・古都京都の文化財 ⇒  北東方向、王寺町の向こう、松尾山(矢田丘陵)の麓に世界遺産「法隆寺地域の仏教建築物」の「法隆寺」。そして北方向、平群谷・生駒谷の奥、京阪奈丘陵の先に世界遺産「古都京都の文化財」の「延暦寺」の在る比叡山が顔をのぞかせる。時には、スキーで訪れた蓬莱山の冠雪した姿も。 左側は生駒山に連なり、聖徳太子ゆかりの「朝護孫子寺」と今NHK帯がドラマ「麒麟が行く」に登場している「松永久秀」の「信貴山城」址の在る信貴山が間近に。また、下方には、60年以上工事の続く「亀の瀬地すべり」対策地域も望める。

◾南方向 世界遺産ビュー④ 紀伊山地の霊場と参詣道 ⇒ 山好きや修験で歩かれた方にはたまらないビュー。奈良県最高峰の八経ヶ岳を筆頭に、山上ヶ岳・稲村ヶ岳・釈迦ヶ岳などの霊峰が望める。また右には、重なるように迫る二上山・葛城山・金剛山、うまくすれば岩湧山・和泉葛城山系の山々が、あたかも淡路島の山並みに連なるような景観も。

◾西方向 世界遺産ビュー⑤ 百舌鳥・古市古墳群 ⇒ この方向は圧巻!大和川左岸に点在する、手前の古市古墳群、そしてその先に大仙陵(仁徳天皇陵)などの百舌鳥古墳群。高い建物のない古代には、海側からも圧倒される景観だったろう。今やランドマークとなったハルカスの見える先、六甲山系を左に須磨方面に目をやると、淡路島の先端の岩屋との間に明石海峡大橋。

*明神山展望台には、このパンフ同様の写真説明が掲げられているが、何と無料の大型望遠鏡が東西に設置されているので、確認しながら覗いて見るのもおすすめ

*何回も登っているが、昨年10月と今年1月に藤井地区ルートから登山し、山頂から西へ明神山トレイルを歩いているので、参考に。

・ブログ記事 明神山ハイキング & 龍田古道ウオーク ~出会った野山の花々 (無広告) 

・ヤマレコ記事 明神山トレイル (ヤマレコサイト側の広告有り)

🔹終了後、「飛鳥美人」のお嬢さんたちもリラックスして「雪丸」くんと記念撮影に興じていました。

また、紅梅🌺の香漂う前庭に飛鳥の乙女らが集い、さながら”壁画”の子女とともに舞い踊っているよう🎵🎶

記念撮影のシャッターを頼まれた後で、ブログ用にとお願いしたら快くOK、、、元気なお嬢さんたち、戻りかけた「雪丸」くん💦を呼び戻してくれました、、、。「雪丸」くん、ちょっと躊躇した?ようで、無茶お疲れのところを、、、感謝!(^^ゞ

 

帰路は車の多い国道を避け、まだまだ里山の趣のあるところを選んで、時には小さな路地を適当に散策がてらに歩いて戻る。

もう処々、春のここち、、、

 

ご覧いただき、有りがとうございました

 

 

 

 

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Posted by ss-kinkon